龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 21


それでは、前回に引き続き植草一秀氏の『知られざる真実―勾留地にて―』(イプシロン出版企画)をも

とに考察を進めてゆきたい。りそな銀行処理について書かれている内容は危険な匂いがする。私個人の印

象では日本の最近10年間における政治経済の一番のタブーなのではないかという気さえする。だから本当

は、その部分について要約し解説することに気後れを感じるというか正直なところ書きたくない。恐ろし

くもある。だが前回からの流れであるからしかたがない。所詮は私の問題ではないと開き直りつつ、この

国で起こる全ての出来事が、切実な“私”の現実でもあるがゆえにやはり書かねばならない。

2003年4月28日に日経平均株価は7607円にまで暴落した。どうやら、このチャートの谷底に位

置する日を境に日本の経済政策は表向きの建前とは裏腹に実質的な方向転換を余儀なくされていたよう

だ。そしてその時点の前後において、悪魔が描く誇らしげなVサインのような軌跡の裏側で国家犯罪とい

えるような疑惑が存在すると植草氏は述べている。2001年4月26日、小泉政権が発足した。同年5

月7日に小泉首相所信表明演説によって経済政策の方針を示した。二つの基本方針は「緊縮財政」と

「企業の破綻処理推進」であった。亀井静香氏が中心になって同年3月に決定した「緊急経済対策」によ

って3月から5月にかけて株価は一旦上昇したものの5月7日の所信表明演説によって「緊急経済対策」

の内容は否定され、その日の株価1万4529円を境に下落に転じる。そしてその後の2年間、2003

年4月28日の7607円にまで暴落し続けることとなる。ところがこの7607円を底に株価は再び上

昇し始める。背景に何があったのか、それが“りそな銀行の破綻と政府による救済措置”であり、そこに

意図的なごまかしと深い闇があると植草氏は指摘する。2002年9月30日に内閣改造が実施され竹中

平蔵経財相が金融相を兼務することになる。なお竹中氏の金融相就任は、政治専門家の指摘によれば米国

政府の指示によるものだとのことである。金融相就任後、竹中氏は「金融分野緊急対応戦略プロジェクト

チーム(PT)」を発足させ、10月30日に「金融再生プログラム」を発表する。不良債権処理方法の

見直しが表明され、金融機関の資産査定の厳格化、自己資本充実、ガバナンス強化などの方針が示される

こととなる。小泉首相の「退出すべき企業を市場から退出させる」方針に沿ったものだと思われる。事

実、竹中氏は金融相就任直後にニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに「日本の大銀行が大きすぎる

からつぶせないとの考え方を取らない」とコメントした。金融機関の資産査定厳格化の一環として「繰延

税金資産」計上ルールの見直しが提示された。そしてこれが「りそな銀行疑惑」のキーワードである。繰

延税金資産計上とは、銀行が融資先企業の倒産に備えて積み立てている「貸倒引当金」が損金と認められ

ず課税対象になるのであるが、将来融資先が実際に倒産した時点で納税額から還付されることを見込ん

で、会計上税金の支払いがなかったことにし自己資本に計上することができる制度である。銀行には5年

分の繰延税金資産計上が認められていた。竹中氏は「金融再生プログラム」のなかで自己資本算定ルール

の厳格化を試み、5年計上を変更しようとした。2003年3月期決算から、税効果会計の資本繰り入れ

限度を米国基準と同じく中核的自己資本の1割に圧縮しようとした。なお自己資本比率は銀行にとって

8%が国際業務、4%が国内業務の基準となっておりまさに死活問題であった。また期中における、いき

なりのルール変更はルール違反であるといえた。よって銀行界は一斉に猛反発し、竹中氏の提案は「金融

再生プログラム」に盛り込まれなかった。植草氏の表現では、「竹中氏は振り上げた拳の下ろし処をなく

し、リベンジのためのいけにえにされたのが、りそな銀行だった。」ということである。その後、日本公

認会計士協会が金融庁からの要請に基づき「主要行の監査に対する監査人の厳正な対応について」という

会長通牒を出した。会計ルール変更に失敗した竹中氏は、公認会計士協会を巻き込んで実質的な会計ルー

ル変更に向けて行動したということである。そして2003年5月5日に新日本監査法人りそな銀行

繰延税金資産を5年でなく3年とする案を決定し、5月6日にりそな銀行に伝えた。繰延税金資産3年計

上は、りそな銀行自己資本比率4%割れを意味した。国内業務基準4%の未達はすなわち破綻である。

りそな銀行は「繰延税金資産5年計上」を前提に2003年3月末を越えているので5月に指摘を受けて

も手立てはなかった。ルールの変更が事前にわかっていれば増資等の対応が取られていた。3月末を過ぎ

てからの通告は「謀略」であり、りそな銀行だけが標的にされたのは、当時のりそな銀行の頭取が小泉政

権を批判していたことが最大の理由であると思うというのが植草氏の見解である。前年の2002年4月

22日、りそな銀行の監査を担っていた朝日監査法人りそな銀行担当公認会計士が自殺した。毎日新聞

社記者の山口敦雄氏の著書『りそなの会計士はなぜ死んだのか』に公認会計士死亡についての丹念な追跡

が記述されているようだ。同書によると、りそな銀行繰延税金資産5年計上を認めない方針を最初に示

したのは朝日監査法人であり、死亡した会計士はその方針に反対の意向を示したのではないかと山口氏は

記述する。また自殺とされた会計士の死亡について、他殺説の可能性もあることが言及されているとのこ

とである。私は『りそなの会計士はなぜ死んだのか』を読んでいないが、2002年4月は同年10月の

竹中氏による全ての銀行を対象にした「繰延税金資産計上ルール」変更企ての半年前であり、植草氏の筋

書きからはその時期にりそな銀行監査法人が圧力をかけられる理由は見えてこない。しかし翌、200

3年4月22日朝日監査法人りそな銀行繰延税金資産について5年計上を認めない方針を決めた二日

後の4月24日にりそな担当の会計士がまた死亡したということである。死因については書かれていな

い。朝日監査法人では、りそな銀行繰延税金資産を全額認めない意見と一定年数認める意見が対立して

いたようで、死亡した会計士は一定年数容認の立場を示していたようだ。4月30日に朝日監査法人は監

査受嘱の辞退をりそな銀行に通知し、それによってりそな銀行繰延税金資産5年計上が認められなくな

る方向性が出来上がったという。そしてその後、りそな銀行自己資本不足、実質国有化に追い込む戦略

が描かれ推進された。そして2003年5月17日、日本経済新聞が「りそな銀行実質国有化」を伝え、

「金融恐慌リスク」が現実化した。ところがりそな銀行は結局、政府によって救済された。からくりは、

りそなの繰延税金資産計上が3年とされたことに秘密が隠されていた。金融危機の処理には「抜け穴」が

存在した。「預金保険法第102条第1項第1号措置」である。銀行が自己資本比率基準を達成できなく

ても、自己資本がプラスの場合には公的資本で救済される規定があった。りそな銀行の場合、繰延税金資

産計上が他の銀行と同等の5年ないし4年だったなら4%の基準を満たした。繰延税金資産計上がゼロか

1年の場合は「預金保険法第102条第1項第3号措置」によって破綻処理された。「3年」の場合、自

己資本比率は2.07%となり、4%の基準を満たさないが債務超過ではなくなり第1号措置の「抜け穴

規定」を適用することができた。その結果、りそな銀行に1兆9600億円の公的資金が注入され、自己

資本比率はいっきに12.2%に上昇した。小泉政権の「退出すべき企業を市場から退出させる」構造改

革政策は破綻し、税金による銀行救済が実行されたことによって、金融恐慌の不安がなくなり株価は猛烈

な上昇に転じた。植草氏は背後に、米国政府と米国金融資本の誘導があったと見る。国内では竹中金融相

を中心にして、金融問題タスクフォース(不良債権問題解決を監視するために竹中氏を中心に金融庁が2

002年12月27日に設立)、公認会計士協会、監査法人、国会議員が連携してりそな処理のプロジェ

クトが推進されたのではないかという。りそな銀行は救済されたが、小泉政権を批判していた経営幹部が

排除され、政権を支援する者が新経営陣に送りこまれた。りそな銀行自民党への融資残高が3年で10

倍に激増したことが2006年12月18日に朝日新聞、一面トップで報じられた。2002年末から2

005年末にかけて大銀行が自民党への融資を減少させるなかで、りそな銀行は2002年末に4.75

億円だった自民党への融資残高をりそな処理のあった2003年末に24億円、2005年末に54億円

に激増させた。報道前日の12月17日に朝日新聞の敏腕記者が自殺した。本書には書かれていないが東

京湾に浮かんでいたらしい……恐ろしい。植草氏は2002年10月から2003年8月までの金融変動

が仕組まれたものであるとの疑惑を指摘する。政府が預金保険法102条第1項第1号措置を活用すると

の情報を事前に入手した勢力が存在すること、そして2003年4月から8月にかけての株価急騰局面で

外資系ファンドが莫大な利益を獲得したと見られる。2003年2月7日に竹中経財相兼金融相が日経平

株価指数連動型株式投資信託(ETF)について「絶対に儲かる」と発言し、問題になった。そして発

言の3ヶ月後の5月17日に「りそな処理」が発表された。2003年5月、国会議員の多くが株式買い付

けに狂奔したという。りそな処理に関係する巨大な「インサイダー取引疑惑」が存在することを植草氏は

何度もテレビで指摘し、証券取引等監視委員会が徹底調査すべきだと訴えた。しかし証券取引等監視委員

会は動かなかった。以上がりそな疑惑に関する本書のあらましである。