龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 20


以下の文章が削除されているようであるが、これは個人情報が流出していることを指摘するものではあり

ません。現代社会が絶えずそのような危険性と隣り合わせになっていることに対して警鐘を打つもので

す。


私の悪い癖であるが書き進めるうちに、話しが軌道を逸れた宇宙船のように本筋からどんどん離れてゆ

く。勝手に腹を立てながら文章がどんどん長くなって帰還する意志もなくなり、まるで無限の彼方に流さ

れてゆくようだ。りそな銀行処理の疑惑に対する植草氏の糾弾と2004年手鏡のぞき事件にはたして関

連性があるのかどうかについての考察、また痴漢事件そのものについての私の個人的考えを今回まとめて

書くつもりであったが、次回にさせていただく。最後にインターネットの匿名性が悪意を増幅させ、凶悪

な犯罪に結びつきやすいとの論調について個人的な見解を述べたい。言わんとするところはわからないで

もないし事実その通りだと思われるが、それは不特定多数における名もなきインターネット利用者間の問

題である。確かに現代における深刻な社会問題のひとつには違いない。しかし“個人対権力”あるいは

“個人対利権”ということになれば、個人情報保護などまったく意味がないものであってインターネット

であろうと何であろうと匿名性がどこに存在するのだと言いたい。もうすでに日本は、その昔ジョージ・

オーウェルが『1984年』という小説で描写したような監視社会になっているように思われる。何を根

拠にと聞かれても困るけれど、そのような気がするのである。権力や大きな利権について何か物申すとき

に、誰であろうとおそらくその人間は丸裸なのである。大きな組織が守ってくれるような人間は安全であ

ろうが、個人にはそれなりのリスクが伴うと思われる。私より何百倍、何千倍も頭がよくて物事がはっき

り見えている人々は世の中に無数にいるであろうが、そのような知識人、言論人たちが雨上がりの水溜り

を器用に避けて歩くような発言のしかたや書き方しか出来ないのであれば、私のような馬鹿が危険を冒し

てでも何か言わなければならないという気にもなる。私は公共的な全体の利益を考えて、具体的には権力

の歪みを是正して市民生活の質を高めること、もうひとつは“書く”という行為の文化的価値を最大化さ

せて他者を救済するということを絶えず意識しているので誰かに妨害されるいわれはないものである。し

かし、わからないではないか。今日の日本のように中心から外側へ向かって腐敗してゆく世の中にあっ

て、腐敗の発生源を指摘するような文章を書いたときにこの国が一つの機構として、はたしてどれだけの

良識が作用するのか私には見えてこない。それが今回のテーマなのである。しかしそれらは本来はメディ

アやジャーナリズムがなすべき仕事ではないかと文句を言いたくもなるのであるが、それを書き出すとま

た終わらなくなってしまうので次回にする。



「斯く成る上は、全てを敵に回してやる。全てだ。私は全ての外部に立って自ら神となるのだ。」

「何を馬鹿なことを言っているのだ。お前は所詮、お釈迦様の手の上の孫悟空ではないか。それに一体ど

こに敵がいるというのだ。むしろ味方ばかりではないか。」

「………敵も、味方もいない。全ては幻影だ。私の心がそれを敵と見るか、味方と見るか、それだけのこ

とだ。自分の居場所が内部なのか外部なのか、それは私の志、いや心意気の問題だ。孫悟空でもかまわな

い。それなら私は孫悟空というトリックスターになろうではないか。」

by 吉川 玲