龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 19


植草氏は、小泉政権の経済政策を批判した。小泉首相は「改革なくして成長なし」のスローガンを唱え続

けた。小泉首相のいう改革とは先ず第一に不良債権の処理加速であった。不良債権の処理加速とは、具体

的には企業の破綻推進と銀行における不良債権の内部処理である。破綻推進は「退出すべき企業を市場か

ら退出させる」と表現された。銀行における不良債権の内部処理は「引当金」の積み立てを意味する。銀

行は内部処理を終えた債権をまとめて「バルクセール」として外部に売却する。その結果、銀行の貸し渋

り、貸しはがしが起こり、企業倒産は拡大し、景気はどんどん深刻化してゆく。またこの時期に日本の生

命保険や損害保険、銀行などが底値で次々と外国資本に買い取られた。小泉首相の改革におけるもう一つ

の柱は「緊縮財政」であった。「国債を絶対に30兆円以上発行しない」と約束した。これまた景気悪化

を招くものであった。これらの方針を総合して小泉首相は「痛みに耐える」と言った。国民に対するメッ

セージとしては非常に分かりやすいものである。たとえば一家庭の家計に例えるとこういうことになる。

投資において損した分を将来取り戻そうなどと考えることはあきらめ、とっとと売却し損失額を確定させ

る。損失に見合った預貯金をする。借金は最小限度に止め無駄遣いを控える。これは大衆が納得する論理

である。分かりやすいがゆえに小泉政権は支持された。植草氏はそうではないと主張した。構造改革より

も経済成長を優先させるべきであり、構造改革は経済成長を起点とした好循環の環境下において成される

べきものであると進言した。先ず景気を浮揚させて資産価格下落に歯止めをかけなければ、金融機関の不

良債権は増大し、金融機能は一段と低下する。金融恐慌のリスクも顕在化すると言った。植草氏主張の根

拠は、1993年に発足した米国クリントン政権が8年間に5300億ドル(約60兆円)も財政収支を

改善させた手法に依拠していた。米国の財政再建は景気回復を優先することによって実現された。税収増

加が財政赤字を減少させる状況になってから、歳出抑制などの構造改革が実行された。米国政府推計によ

ると92年度から95年度にかけての財政赤字減少の7割が景気回復によってもたらされ、歳出削減など

構造改革による財政赤字減少は3割にとどまった。逆に95年度から98年度の財政赤字減少では7割

構造改革によってもたらされ、景気回復による財政赤字減少は3割にとどまったということだ。初めに

景気回復ありきなのである。私は経済について詳しくはないが、この経済政策の考え方については植草氏

の主張の方が当時の小泉首相竹中平蔵経済相の方針より、はるかに理があると思う。植草氏は経済とい

うものを生き物としてそのダイナミズムの本質を理解しているように思われるが、小泉路線というものは

近視眼的に静止した状態の経済を見ていたような気がする。あるいは経済について無知であったというべ

きなのか。それとも植草氏が言うとおり日本の金融資産を安値で収穫しようとする米国の長期的戦略に従

った部分もあるのかもしれない。いずれにしても小泉政治が“劇場型”と呼ばれていたことの意味という

ものが、大衆に対するわかりやすさと圧倒的な人気の高さの代償に、未だ実現されていないものを通して

見えてくるような気がする。郵政は民営化されたがそれが国民にどのような形で利益還元されるのか私に

はよくわからない。単に外資参入への門戸を開いただけであるなら本当にその必要性があったと言えるの

だろうか。一方、官僚の巨大な利権はほとんど温存されたままで歳出抑制が徹底されているようには思え

ない。景気は回復されているように伝えられているが、日経平均株価は1万6千円から1万8千円のあた

りで停滞していて2万円を超える勢いはない。利益を出している企業はほとんど輸出関連で、国内の消費

動向は東京とトヨタのある愛知県近隣は比較的良いように言われているが、それ以外の地方はかなり低調

なように思われる。日本で一番儲けているトヨタにしても海外に生産拠点をどんどん作って売上げを伸ば

しているだけで国内の販売高は一昨年前にディーラーの営業マンから聞いた話しでは、昨年度対比で87

パーセントと言っていたが今も同様かあるいはもっと悪くなっているかも知れない。環境問題や原油高で

車離れがどんどん進んでいる。特に若者は車を保有することすら難しくなっている。小泉改革とはまやか

しであったと言わざるを得ない。日本の経済停滞の原因は、私は東京と地方の格差が全てであると考え

る。どうして東京にかくも人間が密集しているのかと言えば大企業が集中していてそこに職があるからで

ある。ならどうして物価の高い東京に大企業の本社が集まるのかと言えば、それは情報が集中しているか

らではない。情報はインターネットによって既に拡散している。大企業が物価の高い東京に本社を置くの

は、そこに“権力”が集中しているからではないのか。“権力”とは霞ヶ関にいる、業界に対する許認可

権を握った高級官僚たちである。要するに大企業は、役人の顔色を見たり接待をするには東京に本社を置

いておいた方が都合がよいし、安心だからなのだと思われる。ただそれだけのことで地方が死んでいるの

だとすれば私はちょっと許せない気がする。日本の国土全体を経済資源として隅々までもっと有効に活用

していかなければならない。情報や物流が整っているのに権力が東京に偏在しているという理由で、ワー

キングプアと呼ばれるような人々が地方で生活苦にあえいでいるのだとすれば犯罪的ではないかとすら思

う。経済力が地方に拡散すれば日本人の生活コストはもっと低く抑えることができるし、精神的にも経済

的にも豊かな人生を送ることはおそらく可能なのだ。悲惨な一家心中がこれほど多く起こらなくともよい

のである。それらを阻んでいるのは官僚の巨大な利権ではないのか。以下は人から聞いた話しなので真偽

のほどはわからない。しかし十分にあり得ることだと思われるので紹介する。国土交通省のお偉方が大阪

にやってきて、大阪の業者が接待することになった。役人は宴席の場で飲む焼酎の銘柄を事前に指定して

きたという。あわてて業者が酒屋に問い合わせて見ると、その銘柄は幻の焼酎としてプレミアムがついて

いるもので一瓶、数万円もするものであったとのことだ。私はその話しを聞いて、役人の殿様ぶりに腹立

ちを通り越して思わず笑ってしまった。またべつの話しでは、これはよく聞くことではあるが年度末にあ

る省庁の役人が業者に対して80万円の空伝票を切るように要求してきた。それで言われた通り空伝票を

切ると何も納品していないにも関わらず即座に80万円送金してきたとのことである。何ヶ月もたって業

者が心配になって80万円分の空伝票の処理について問い合わせてようやく、その金額に見合った商品を

納品するように指示されたとのことである。業者が問い合わせなければおそらくそのまま放置されていた

であろうということだった。この程度のことはおそらく日常的になされていることだと想像される。我々

庶民の感覚では、けしからんと憤ることもできるし、役人とはそういうものだと達観することも出来る。

しかしそれなら昨今の政治と金を巡る同一領収書コピーの二重記帳だとか、事務所費や光熱費だとか、政

治家の金を1円単位で管理するといった騒ぎは一体何やねんということになる。本当は“政治と金”では

なく“官僚と金”に問題があるのだが、それを言わせないがために“政治と金”がこれほどまでに喧しく

世論に訴えられ、誘導されているものだと考えられる。もう一つ、これはちょっと危険な話しであるので

単なる噂話として聞いていただきたい。バブル時代に大蔵省のある高級官僚が、大企業に億単位の金を銀

行を通じて無利子で融資させ、何パーセントかのバックマージンを懐にしていたとのことである。もちろ

ん作り話かも知れないが、大蔵省が管理する莫大な金は不可侵の領域であり警察や検察が立ち入ることも

かなり難しいと思われるので、決してあり得ない話しではないと想像する。但し私が聞いた話しでは、財

務省になってからはそのようなことはなくなったということである。その他、厚生労働省と製薬会社の癒

着には凄まじいものがあるということもよく聞く話しである。官僚利権にメスを入れない限り日本は決し

て良くはならない。これは確かなことだと思う。“経済格差”の本質は“権力格差”あるいは“権力偏

在”であり、官僚利権を軸にした支配、被支配の関係性なのだと考えられる。