龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 18

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私がこの本を読んだのには訳がある。著者であるエコノミスト植草一秀氏がのぞき、痴漢容疑で逮捕され

たのは、彼が小泉政権当時の経済政策を批判し、りそな銀行処理を巡る疑惑を指摘していたことが原因で

あって、事件そのものは実は権力によって裏で仕組まれたものだったという見方が一部にあるからだ。本

当にそのようなことが有り得るのであろうか。まさかとは思うが、絶対にないとは言い切れない。旧共産

主義国において当局が体制に批判的で目障りな人物を封殺、粛清する際にわいせつ事件をでっち上げた

り、女性の囮を使って罠に陥れるやり方は常套手段であったであろうと思われるからだ。日本は表面的に

は民主主義国家であるが、権力の内部構造においては多分に大衆誘導による全体主義的な傾向が色濃い。

よってもしそのような当局の謀略があるのだとすれば、どのような状況で、どこを対象に、どの程度の強

さで権力を踏みつければ地雷が爆発するかを出来る限り正確に知っておく必要がある。あるいは日本の権

力がでっち上げを作り出すような腐敗、堕落の闇領域にどの程度まで近接しているのかを見極めておかな

ければならない。なぜなら、それが自分の身を守ることにつながるからだ。私もまた調子に乗って権力批

判を繰り返していると、200メートル離れたマンションの窓から狙い定められたライフル銃によって、

ある日突然ケネディ元大統領のように頭を撃ち抜かれるかも知れない。車を運転している時に不審車に付

きまとわれ、ダイアナ妃のように無惨な事故死を遂げることだってあるかも知れない。まあそれらはちょ

っと大げさな妄想ではあるが、電車に乗ろうとしている時に綺麗なお姉さんが私の背後3メートル位の間

隔で付いて来るようなことがあれば痴漢に仕立て上げられる恐れがある。その時に私は『ミッション・イ

ンポッシブル』のトム・クルーズのように走り出さなければならない。だから私は今、自分の頭できちん

と検証しなければならないと考えて『知られざる真実―勾留地にて―』(イプシロン出版企画)を読んだ

のである。

さて、植草氏は合計3回迷惑防止条例にて検挙されている。これは決定的な数字だと思われる。特に最初

の1998年事件、これは逮捕されずに書類送検で済まされ報道はされなかったようだが、この事件につ

いて巻末資料に付された説明がどうにも怪しいのだ。1998年1月30日、植草氏は平塚での講演会

後、午後7時ごろ東海道線上り電車に乗り、4人がけボックス席の通路側に座った。向かい側に二人の女

性が座っていて、植草氏の隣は空席だった。横浜から川崎にかけての車内で向かい側の二人の女性は眠っ

ているようであり、植草氏も半分眠っていた。先ずここまでの記述を分析してわかることは、女性二人が

先に並んで座っており、その向かい側がどちらも空席だったボックス席に植草氏がその場所を選んで座り

に行ったという事実である。当日の車内の混み具合については書かれていないが、私ならその場所しか座

れる席が空いていなくて尚且つ、かなり疲れているのでなければ遠慮してそのような場所には座らない。

しかし当日の植草氏がそのような状況であった可能性もあるし、人それぞれ公共的な場所における行動パ

ターンは微妙に異なるのでそれだけで決め付けることは出来ない。植草氏は当時、足のももの付け根に湿

疹があり、以前順天堂大学病院で診察を受けたときに処方されたオイラックスという薬をその時に使用し

ていたとのことである。植草氏は眠っているときに、座席の温かさでかゆくなり、2、3度左手でももの

付け根をかいた。その時、たまたま通りかかった電車の車掌に、向かいに座っていた女性が「この人感じ

が悪いんですが」と植草氏を訴えたということである。まもなく電車が川崎駅に到着し植草氏は車掌、女

性とともに駅の事務室に行った。そこで植草氏は女性に「不快な思いをさせたのならいくらでも謝るの

で、どうか許して欲しい」と何度も話し、ももをかいた理由についても説明したが納得してもらえなかっ

た。それで、駅の鉄道警察に行くことになり、警官は「相手のひざを触っただろう」と言った。植草氏は

電車が大きく揺れたときに、荷物を抱えていた片方の手の小指、指先が時間にして0.1秒触れたことが

あったので「一瞬だが、指先が触れたことがあった」と話した。警官は「それは触れたではなく触っただ

ろう」と言い、植草氏は「電車の揺れで接触しただけだ」と答え、押し問答になった。警察は「触ったと

言わなければ逮捕する」と大声でどなった。その後、恐怖を感じた植草氏は、警官の「触ったと認めて上

申書を書けば、すぐに帰してやる。一切秘密に処理して外には絶対漏らさないようにする」との取引に応

じて上申書を書き、解放された。その後、数ヶ月間連絡がなかったが6月になって検察から呼び出され出

頭し、その日のうちに簡易裁判所で処理が完了したということである。これが1998年事件の一連の概

要である。後の2004年4月8日の手鏡のぞき事件において品川駅交番で植草氏が取り調べられた際

に、警官は1998年事件についての警察側記録を参考にして調書を捏造、創作したという。その“捏

造”“創作”によれば1998年事件において植草氏は女性の前でマスターベーションをしていたという

ことだ。私には1998年事件において植草氏が女性の前で何をしていたのか、していなかったのか、触

ったのか、触れただけなのかわからない。わからないけれども真正面に座っている初対面の女性から不快

感を訴えられたのであれば、何かしら訴えられるような不自然な動きをしていたと見るのは妥当だと考え

る。警察に捕まえられるのが妥当かどうかは別問題である。しかし私個人の感想ではこの1998年事件

レポートから、植草氏は少なくともそのような傾向がある人物であると結論付けざるを得ない。ならば当

然、2004年の手鏡のぞき事件、そして2006年の痴漢事件も植草氏には疑われるような事実がおそ

らくあったのだと推測されることになる。ところが2006年の痴漢事件はともかく裁判で有罪が確定し

ている2004年、手鏡のぞき事件について植草氏が同書で反論、弁明している内容にものすごく説得力

があるのも事実なのである。それが私が冒頭に述べた、日本の権力の実態を考えるよすがとなるのだ。

先ず、この本を読み通して感じたことは痴漢事件とは関係ないことではあるが、植草一秀という人物がエ

コノミストとして極めて優秀であるということだ。それは経済に素人の私にも伝わってくるものがあっ

た。植草氏は東大を卒業後、野村総合研究所を経て1985年から87年まで大蔵省財政金融研究所に勤

務した。元、官僚なのである。鈴木宗男氏のバックについていた元外務省官僚、佐藤優氏の『獄中記』

岩波書店)も読んだが、日本の官僚の優秀性というか頭の良さをとことん思い知らされた。これでは政

治家はとても太刀打ちできないと思う。しかし、一対一では敵わなくとも組織の団体行動から遊離した一

人の官僚がうっかりと地雷を踏んでしまった時に柄の悪い不良少年のような政治家たちは仲間を呼び集

め、回りを取り囲んでボコボコに痛めつけ、人格ごと潰してしまう。メディアは見て見ぬふりをする。こ

れは明らかに“いじめ”の構図なのだが、日本には子供たちのいじめを誘発するような支配者側のメカニ

ズムが存在するように私には感じられる。一言で表現すれば、“正義の不在”ということになるのであろ

うか。そうだ。日本には“真実”と“正義”が不在で、あるいは歪められていて支配者側の都合と奇妙な

バランスで絶えず維持、調整されている“変な国”なのである。因みに植草氏と『獄中記』の佐藤優氏の

比較で言えば、佐藤優鈴木宗男についていただけあって頭脳の優秀性以上にしぶとさというか、生命力

の強靭さが光っている。この点において私は、男として佐藤優から学ぶべき点は多いと考える。見習いた

い。植草一秀は、上品過ぎるというか権力の恫喝に弱いというか、あるいは育ちの良さゆえに無防備すぎ

たのか、ともあれ日本を変革するための才能の希少性という点から考えれば非常にもったいない思いがす

るし、気の毒にも感じられる。もちろん植草氏が『知られざる真実―勾留地にて―』にて主張しているこ

とが真実であればの話である。それでは具体的に検証していくことにしよう。