龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 41


春を迎えるこの季節、私は仕事が忙しい。


さて去年の11月頃だったであろうか、市の職員と思しき人が夕方事務所にやってきた。事務所前の国道

補修工事の挨拶であった。工事日程と図面が書かれた用紙を1枚手渡された。

「補修といってもきれいですよ。傷んでいるようには見えないけど」

と言うと、職員は

「そう言う人はたくさんいてはります。でも、どんどんやってくれと言う人もいてます。」

「……はあ、そうですか」

そのように言われれば返す言葉がない。いずれにしても、もう決まっていることなのだから議論する意味

がない。

それで翌日の昼間、補修区画の道路を歩きながら仔細に見てみると確かに細かなひび割れが何箇所かアス

ファルトに生じているのがわかった。でも、車で走っていてもほとんど気にならない程度のものである。


工事が終わってしまえば道は見違えるようにすっきりして気持ちよくなった。車での走行中の振動差は京

阪電車の特急と新幹線のぞみ位の違いはあるかも知れない。しかし、その補修工事は本当に必要だったの

であろうか。そもそも誰のための工事だったのか。


年度末のこの時期になれば例年のごとく道を掘り返して、水道管やガス管の敷設工事や点検が行われる。

税金の無駄遣いがこれほどマスコミで批判に晒されていても風物詩のようなその光景がなくなることはな

いように思える。とは言ってもちょっとした地震で水道やガスがストップするような事態は困るので必要

な点検はきちんとしてもらわなければならない。しかし、毎年同じ地点を掘り返しているように見えるの

は一体どういうことなのか。


大阪府は5兆円の借金があって財政再建団体に転落寸前だという。新たな府債の発行をせずに歳入の範囲

内で予算を組むべきだというようなことは橋下知事でなくとも誰もが考えることである。しかしいざとな

れば、そう簡単には問屋は卸さない。職員に密室でとり囲まれて何時間も説得されると簡単に籠絡されて

しまう。道路や建設利権と行政の関係の深さを甘く見すぎていたとしか考えられない。地方交付税で充当

されるといっても国民の税金であることには変わりないではないか。


ガソリン税暫定税率にしてもそうなのだが、地方の国に対する依存体質があまりに根深すぎるように思

える。カンフル剤的に地方に道路を作って国の予算を投入しても一時的に潤うのは土建屋と工事人夫だけ

ではないのか。そんなことを延々と繰り返したところでどうにかなるものではないだろう。それだけ地方

の窮状が厳しいと言えるのかも知れないが、ここまで地方を駄目にしてしまった国の責任はあまりにも大

きいと思う。東京一極だけに金や才能、ついでに美女まで集中させていつまでも世界に伍してゆけると考

えていた政治家や官僚たちが馬鹿なのだ。国の権限を制約した道州制を採用するべきだと私は考える。

現在の利権構造や地方の国に対する依存体質を根底から変えるには道州制しかないのではないか。


これも最近のことだが、夜自転車で家の近くを走っていると婦人警官に呼び止められた。無灯火の注意

か、盗難自転車でないことの照合をするつもりらしい。

「ちょっと、ご主人」と婦人警官は私に声を掛けた。

私はスピードを緩めたものの別に悪いことをしているわけでもないし、よくわからない無意味な公務に付

き合わされたくもない。それで黙って通り過ぎた。婦人警官は小走りで付いてきて止まるようにと言って

いる。私は無視をして自転車をゆっくりと走らせる。すると一際大きな声で婦人警官は後方から

「ご主人」と声を上げた。

私は、おまえなんぞにご主人様呼ばわりされる覚えはないとばかりに黙殺した。

すると婦人警官の声に驚いたのか近くにいた別の若い男性警官が、アッシー君(死語だけど)のごとく飛

んできた。私は倉庫兼自転車置き場の前に着いて自転車を降りる。男性警官は威嚇するように私から1メ

ートルほど離れた地点に立っていた。私は鍵を出して倉庫の鍵を開け始めると、婦人警官は拍子抜けした

ように「こちらにお住まいの方ですか。」と言った。

そこは倉庫なので住んではいないのだが、その問いにも答えずに自転車を入れて出ると、また鍵を閉めて

自宅の方に歩いて向かった。警官たちは諦めたように新たな獲物を捕獲すべく持ち場へと戻っていった。


事務所前の補修工事のあった国道では、昼間交通事故がほとんどない所で頻繁にスピード違反の取締りが

行われている。TVのドキュメンタリー番組では夜も寝ずに市民の安全のために働いているはずの刑事や

制服警官たちは、実際には9時―5時の勤務体系で土曜・日曜は基本的にお休みである。社会保険庁や裁

判官、裁判所の職員たちと同じである。


そもそも警察官の人員は何年かに一度の国際経済会議や各種世界スポーツ大会開催などでの治安維持に必

要な数を想定して決定されていて、普段は我々市民がメディアを通じて思い込まされているよりも遊んで

いるのである。他国との人口比比較は意味がない。明日にでも革命や内乱が起きる可能性のある国と日本

のように変化の小さい国では事情が異なる。


一方で大都市の治安は年々悪くなってゆく。大阪ではひったくりだけでなく強盗が増えているので大人の

男が夜道を歩くのに危険を感じるまでになっている。本来ならば警察官のモチベーションの基になる数値

目標は、強盗やひったくりなどの発生件数を減少させることであるが、警官の動きを見ている限りとても

そのような意識があるようには思えない。凶悪犯罪の発生件数は増え、検挙率は低下している。


警察側の論理で言えば夜道に自転車に乗っている人間は皆、刃物を隠し持っていたり覚せい剤を所持して

いる可能性があるといえるのかも知れない。しかしそれは屁理屈というものである。自転車の無灯火を注

意したり、スピード違反の取り締まりなどで公務の時間を潰している警察官は、サッカーの競技に例えて

言うと走れていないプレイヤーなのである。歩いているのだ。5兆円もの借金がある団体職員のプレイス

タイルではない。することがないなら路上のゴミ拾いでもしていろと言いたい。あまりこのようなことを

書くと共産党員扱いされて公安にマークされるかも知れないので気をつけなければならない。

“小人閑居して不善を為す”とは、閑で権力のある人間を本気で怒らせてはならない、大勢から外れたこ

とを言ってはいけないという意味の格言なのである。


しかし職員の賃金カットを提唱するのであれば、職務内容や評価、モチベーションを総合して考えなけれ

ばならないのは言うまでもない。走らないプレイヤーはいらないけれど、公務員であってもそれぞれの生

活や養わなければならない家族があるわけだから安易に一律的な給与削減をなすべきではないと思う。現

在の恒常的な赤字体質のもとでは公務員の永続的な身分保障システムから、より生産的なあり方へとシフ

トしていかなければならないと思う。そのためには目標設定を抜本的に見直すべき時期にあるのではなの

か。たとえば、裁判であれば処理件数や進行のスピードよりも冤罪を生まないことに価値を認めるのは当

然である。警察は微罪の検挙数よりも、地域における強盗や殺人などの凶悪犯罪発生件数を減少させる実

績によって評価されるべきである。教師であれば生徒の学力向上と心身健全度を数値化して評価対象とす

る。各自治体の予算は全てを年度内に費消するのではなく、節約し次年度予算に繰り越し計上したり緊急

時に流用できるオープンな積立金として認めるような仕組みを作り、行政に対する市民評価の監視の下で

費用対効果を最大化する枠組みを作ることが必要だと思う。インターネットを利用すればそのようなこと

は可能なはずなのである。もちろん国と地方の連携が必要なのは言うまでもないが、市民の視点をどこま

で新しい公務員制度に取り込んでゆくことができるかということが全てだと思う。


警察の職務質問を無視する私はとても大人気ないが、NHKと揉めている橋下知事は明らかに私以下であ

る。どんな理由であれ、厳密には遅刻と言えるものでなかったにせよ、相手を待たせてやきもきさせたの

なら一言、「申し訳ない」と言って詫びなければならない。NHKの体質がどうとか、民間企業との違い

以前の問題である。私が言った通りじゃないか。橋下氏は私が見立てた通りのどうしようもない人物であ

った。きちんとした志がある人物ならつまらないことに腹を立てたりせずに、メディアをいかに利用する

かということを戦略的に考えるはずである。はっきり言うがNHKは落ちぶれてはいても、まだ民放の報

道番組よりも信頼性は高いぞ。それを個人的に機嫌を損ねて、金輪際出ないとは一体どういうことやね

ん。メディアにおだてられただけの理由で知事に就任しているからメディアの影響力から自立できないの

である。私が指摘した通りだ。別にどうでもいいんだけれど。


「生きている限り、この世の中は
 
腹立たしいことばかりだ。
 
春が来ても
 
夏が来ても」