龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

都議選の結果と国民の課題

自民党の惨敗か。まあ当然の結果ではあるが、私なりに分析すれば、反自民の票が怒涛のように都民ファーストの会に流れ込んだ要因は、実体も実力もよくは分からないものであるが、小池百合子都知事が代表を務める政党であることの新鮮さ、目新しさと、何よりも「都民ファースト」というトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」に便乗したネーミングにあるのであろう。所詮は東京都議選といえども一地方選挙なので、民意はその程度の理由で大きく右から左へと、振り子のように振れてしまうものである。マスコミの扱いもまた、いつものことではあるが、選挙前の安倍政権に対する報道姿勢を見てもわかる通り、とりあえず反自民の民意を発動させて、マスコミ主導の民主主義を活性化させるというか、虚構民主主義の定期的な補修工事をしているかのような気配が濃厚に感じ取れたものであった。よってこの結果が今後の国政選挙にそのまま反映されるかと言えば、全然、別問題である。マスコミの報道姿勢も当然、微妙に変化してくるであろうし、国政においては都民ファーストのような自民に代替される受け皿もなく、今回の選挙結果を見てもわかる通り、反自民の票が賢明にも民進党には流れなかったことなどから、次の総選挙で勢力図が大きく変わることは、考え難いと思われる。それが果たして良いのか悪いのかと言えば、良くないとしか言えないものであるが、そこに国民の良識が働いていることは確かだと思われる。地方選挙では自民党にお灸を据えるために壊滅的に敗北させても、国政選挙では他に投票できる政党もなく、仕方ないから自民党に入れるということである。日本の民主政治は、二大政党制のいずれかに振り子が振れるようなものにまでなり得ていないので、結局は自民党の政治しかないものである。それは今回の都議選の結果を踏まえて見ても何ら変わることがないものである。それでは何で日本には自民党の政治しかないのかと言うことであるが、それは国民がそのように望んでいるからではなくて、そのようにコントロールされ続けてきたからに他ならない。そしてその自民党だけの政治支配の維持に大きな力を行使し続けている存在が、日本にあっては新聞社やTV局、NHKなどのマスコミなのである。誤解のないように説明しなければならないが、ここで言うところの自民党の政治とは、「自民党的」という意味であって必ずしも自民党である必要もなく、それが民進党であっても維新であっても、或いは今回のように都民ファーストの会であっても「自民の亜流」という意味では、看板を掛け変えて国民の目を眩ませているだけでどれも同じだということである。これがどういうことかと言えば、有権者は選挙で政党を選択することは出来たとしても、「政治の質を変化させることは許されていない」ということなのである。本来の民主主義とは、政党の看板を付け替えるだけでなく、政治の質つまり中身を変化させる力を持ち得なければならないもののはずであるが、日本は政治とマスコミがそれをさせないように妨害し続けているものである。それが日本の政治と報道の本質なのだ。アメリカを見てもわかる通り、トランプ大統領になって政治の質と中身が大きく変化したでしょう。なぜそれが日本には出来ないのかということだ。自民でも民進でも維新でも都民ファーストでも表面上の名前など何でもよいのである。そこに本当に民意を反映した「実質的な違い」があるのかどうかということだけが問題なのだ。日本の政党は何の差異もないものである。この現状を改めていくにはどうすればよいのかと言えば、先ず日本では、選挙で政治の質を変えることは不可能であるとはっきりと認識することだと思う。そのまやかしを見抜けないことには一歩たりとも前進できないのだ。何党を勝たせるかという問題ではなく、有権者が「選挙後」の政治の腐敗や権力と報道の癒着による歪みの構造を厳しくチェックし続けて糾弾し続けること以外にないものである。これまでの日本の民主政治とは選挙結果だけでしかなかったものである。だからこそ選挙以後の政治とマスコミによる大衆統制や支配にメスを入れることがこれまで全くできてこなかったということである。選挙結果など言ってみればどうでもよいのである。そのようなものは膨大な税金を費やしたまやかしなのであって、我々国民は政治と報道の「質」だけを厳しく監視しなければならないのだ。監視される対象ではなく、我々市民の一人一人が監視するのである。