龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

参議院選挙を控えて

参議院選挙が近づいてきた。民主党菅直人が何の脈絡もなく唐突に消費税10%を打ち出したことにより、消費税が争点になってしまった様相である。しかし言うまでもないことだが、日本の財政状態は民主党が政権を取ってから突然、悪化したわけではない。今更、日本の将来に対して責任を持つ増税案を夢のお告げか何かで突然、思いつかれたのであろうか。
政治の公約とは、サッカーで言えば基本戦術のようなものである。思いつきでころころと変えられては国民は堪らないのだ。何故ころころ変わるのかと言えば、真の国益を熟考し練られてきた政策ではなくてその時々の風向きや力関係で簡単に寝返っているだけであるのに、その変節を国民を欺いて正当化しようとするからである。よって我々国民は、そのような程度の低い嘘には簡単に騙される馬鹿ではないことを政治家たちにわからせる必要性がある。そうでなければ政治家は、この先何度でも同じ方法で大衆を煽動、操作をすることしか考えられない人間集団で有り続けるであろう。よって選挙というものは国民にとっては、民主主義の質を引き上げてゆくために本質を見抜く責任を有しているとも言える。ところが現実には、大衆は政治家が提起する政策をマスコミが喧伝する全体的なイメージの中だけで判断しようとする。政治の善と悪、正と邪のほとんどは、本体を隠した影絵のようなイメージ操作で簡単に作り上げられるものとなる。もちろん先進国であろうと、どこの国でも多少なりともそのような傾向は有しているであろうが、日本は政治力が貧困なので弱者を騙して安きに流れる政治の悪しき流れが社会に定着しやすい。イメージの世界だけで生きているようなタレント候補が多いのも、そのような日本のいい加減な政治風土を端的に証している。メディアリテラシーと意図的に作り上げられる世論の問題は日本にあってあまりにも弊害が大きいと考えられるが、タブーとして認めること自体がタブーになっているような状況である。この点については繰り返し、訴え続けてゆく以外に道はないと考えている。
消費税と社会保障とは基本的に無関係である。税収源と税金の使い道は無数にあるのであり、短絡的に消費税と社会保障を結びつける論調はごまかし以外の何物でもない。消費税を地方財源にして福祉目的税化するという主張は、前回私が書いた道州制とも通ずる一歩進んだ考え方のように思える。これは、みんなの党新党改革の公約ともなっているが、現実化の可能性は現在の状況ではかなり低いと看做さなければならない。国会議員の権力の源は、国家予算の配分権にある。よって、92兆円(全体の国家予算)÷722人(衆参国会議員数合計)=1275億円、が1人当たりの国会議員の権力持分となる。歳出を減らすために国会議員数を減らせ、という主張があるがそれは明らかに間違っている。公務員数は減らし合理化してゆく必要があるが、国会議員の数はもっと増やして行かなければならない。議員数を減らして1275億円が仮に2000億円になると、与党の議員1人が大企業の論理に取り込まれれば、単純に言えば、右から左へ2000億円の税金が大企業の利益のために使われることになるのである。その背景にあるインセンティブ企業献金であることは言うまでもない。政治家は企業献金がある限り、実態は大企業の顔色を伺いながら、広く庶民のために政治を行っているかのような詭弁を弄する能力に長けた政治家ばかりとなる。要するに、消費税の地方財源化と福祉目的税化は、国会議員が自らの力を殺ぐことになるので最終的には決して採用されないと考えるべきだということだ。選挙前の国民に対する餌の一つとして提示されているものに過ぎないであろう。
消費税が5%から10%になれば、イオングループのような大手小売業界は必然的に売り上げが5%増える。なぜなら高級品を売っているのではなく生活必需品の割合が多いのでこれ以上、国内消費の落ち込みようがないからである。その上で法人税が将来的に40%から25%になれば、上(売り上げ)と下(法人税)で利潤幅を押し広げることが出来ることになる。ところが大手小売業界にはほとんど国際競争なるものは存在しない。数年前にはフランスのカルフールなどが進出してきたが日本国内の消費動向が悪すぎて、今ではほとんど撤退してしまっている。一部、ユニクロが中国上海やアメリカに店を出している程度で、全体的に見れば国際競争力を引き上げるために法人税を減税しなければならない必要性などどこにもない。しかし消費税増税法人税減税の恩恵は大きい。ましてやマスコミにあっては国際競争力どころか、言論の独立性を守り外圧を防ぐという建前で特別扱いの保護を受けているような業界なのである。新聞社は赤字経営のところも多いようであるが、系列下のTV放送局は大企業の広告でそれなりの利益を出しているであろう。マスコミは鳩山の親族間の献金問題や、小沢のどうでもいいような政治資金収支報告書不記載での小さな問題であれほどまでに大げさな攻撃を繰り返し、退陣に追い込んでおきながら、菅直人の変節ぶりにこれほどまでに手放しで賞賛と歓迎の意向を示すのはあまりに現金すぎないか。
民主党も政権発足後もうすぐ1年になるので、これまで自民党に政治献金していた大企業がそろそろ民主党献金先を変えようとしている所が増えてきているのではないか。このように考えていけば、菅直人の夢のお告げのような唐突な消費税増税案と新成長戦略に付随するような法人税減税の意味も見えてくるであろうというものである。企業献金をいますぐに廃止しなければ、日本の政治は決して本来あるべき国民全体のための政治になり得ない。どうしても身近なスポンサーを優遇するような政策に収束されてしまうのである。私は企業献金の廃止を本気で考えていた小沢一郎が一番クリーンな政治家であると考えるものである。しかし大企業の影響力を温存させようとする勢力によって潰されてしまったことは何よりも残念で仕方がない。
因みに欧州では消費税の2重税率はほぼ当たり前のように採用されているのに、今の日本で、消費税増税に際して低所得者のための低減税率として言及される論理自体がどこかおかしい。しかしこれも、私は自信を持って断言するが最終的には決して採用されることがない案である。なぜなら全ての商品を生活必需品とそれ以外に分類することは大変な作業であり、そう簡単に出来ることではない。仮に成し得たとしても大手小売業界が、ポスシステムなどを全て入れ替えなければならないことになり膨大なコストがかかることになるからである。よって財界の一部は猛反対するであろうし、政府としても後から変更の効かない消費税の2重税率は極力採用したくないと考えるであろう。還付を打ち出しておいて、後から財政的に厳しいとして取り消すのが権力側にとっては一番、スマートなやり口なのである。
大衆全体が今回私が書いた程度ぐらいのことは誰に言われずとも自然と見抜く眼力を持たなければ、選挙で清き一票を投ずる意味などどこにもないのである。