龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

我々の認識が全て

馬鹿も休み休み言いたまえ。荒井経済財政相が閣議に提出した2010年度、年次経済財政報告の内容についてである。「デフレ経済から脱却するために経済成長の続くアジアの需要を取り込むことが不可欠」とするのはよい。しかし法人税の実効税率を引き下げることが、なぜ企業の成長力や収益力を強化することになるのか具体的かつ詳細に説明してみろよ。前にも書いたことだが、国際競争力や経済のグローバリゼイションなどのキャッチフレーズは、その一人歩きしたイメージ喚起力で政治的に大企業優遇社会へと大衆誘導なさんとするための牽強付会の言葉に過ぎない。現実には今、法人税を大幅に減税したところで日本の企業がアジアの市場シェアを奪えるとは到底、考えられないものである。法人税を減税すれば、日本企業が躍進して海外市場を席巻し、また家計所得の増加につながるなどとはあまりにも短絡すぎるのではないのか。
国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ、と言いたい。日本が本気で、中国やインドなどの長期的な高成長が見込まれる諸国に食い込んでいこうとするならば、政治的にその地域に投資して将来的に回収するような緻密な中長期計画に基づいた戦略をもたなければならないはずだ。単に金をばら撒くだけのODAではなく、たとえば途上国の未開発地域に学校や病院などのインフラ設備を作って人的にも経済的にも太いパイプと信頼関係を構築してゆくような地道なやり方である。以前の日本ではそのような世界の大局を見据えた遠大な志もあったのであろうが、昨今の施政方針を見るにあまりにも近視眼的かつ短絡的である。それは何よりも日本の権力構造が近視眼的で短絡的であることの必然的な結果なのであろう。法人税を引き下げたところで、それだけでは海外の市場開拓など不可能なのは目に見えているではないか。日本の技術力、製品力に優位性があった時代であればいざ知らず、これまでの日本に政治的な将来成長の戦略がなかったがために中国などの近隣諸国にいいように利用されて、先端技術も流出させてきただけではなかったのか。
そういう経過に対する反省も総括もないままに、法人税を引き下げれば企業が成長するなどの主張は子供だまし以下のレベルである。そこにあるのは政治と大企業の癒着以外には何もない。どうしても民主党法人税を引き下げたいと言うのであれば、企業献金を全廃してからにしろと言いたい。はたして企業献金を法律で全面的に禁止して、あるいはそういう大前提の下で、今と同様の成長戦略なる“まやかし”路線の論拠を菅直人が保持し続けるであろうか。
もう一点言えば、法人税を減税すれば企業収益強化を通じて家計の所得が増えるという論理は、風が吹けば桶屋が儲かるという例え以上にいい加減なものである。現在にあっても、利益を上げている大企業の社員はそれなりの給料やボーナスをもらっているであろうが、それは日本経済全体から見ればごく一部の話しに過ぎない。そして幸運な、その一部の者たちですら法人税の減税効果が将来的に自分たちの給料やボーナスに上乗せされて跳ね返ってくるなどとは誰一人として信じていないのではないか。そこにある問題は労働分配率などという、労使間の伝統的でわかりやすい対立ではない。企業や資本家が何としてでも目先の利益を確保するための詭弁と、献金を通じた企業の政治に対する影響力が結びついて、広く国民全体を騙そうとしていることが大きな問題なのである。政治が本気で企業の成長戦略を考えるのであれば、そしてその能力を持ち得るのであれば、企業は40%の法人税率が高いといって政府に文句をつけることは恐らくないであろう。政・官・民が三位一体となって、癒着ではなく正しい本来有るべき姿で世界と戦っていけばよいのである。ところが政治がまったくの無能であるから、企業献金を取引材料のようにして法人税率引き下げの要望が財界から出され続けると、その圧力に抗い続けることが出来ずに、その穴埋めとして消費税増税の話しが持ち出されてくるものと思われる。よって、そのような背景は並みの洞察力を有している人間にとっては歴然としているのであるから、我々国民は筋違いの増税を決して受け入れてはいけないのである。なぜならそのようなインチキは、日本という泥舟が沈没するのを早めることにしかならないからだ。大事なことなので強調したいが、これは税制の問題ではなく、日本の目に見えない支配体制のあり方の問題なのだ。それは、日本を管理していると自任しているような連中が、結局のところは日本という国家を食い物にしているだけであるという認識を我々が持ち切れるかどうかという問題でもある。
マスコミが法人税減税とセットになった消費税増税に大賛成なのは、大企業の減税分が広告費として回ってくることを期待することと、国民生活が逼迫するほど情報操作をする立場の優越性と権威が高まると考えるからである。マスコミなど所詮その程度の組織である。
分ろうとも、分らずとも。