龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

我々の認識が全て 2

小沢一郎の問題についても触れておきたいが、私には鈴木宗男が逮捕されることになったケースと同じ構図が繰り返されているように思えるものである。小泉政権時代にマスコミで鈴木宗男へのバッシングが突如として巻き起こり、世間一般的には政治腐敗の象徴人物であるかのような受け止められ方がなされるようになった。またマスコミ報道と示し合わせたかのように検察が立件、起訴へと動き出したものである。
しかし未だに、鈴木宗男が何の悪を働いたのかということについては、具体的にはほとんどの国民がよくわかっていない。政治活動の背景としては、北方領土返還交渉においてロシアとの太いパイプを持っていたということだけである。当時、二島先行返還交渉のあり方が国後島ムネオハウスなどと結ぶ付けられて、鈴木宗男はメディアで国賊扱いされていたように思い出されるのであるが、日本という国は領土問題の解決に当たって武力で威圧するようなことは出来ないのであるから、一人の政治家が本気で領土奪還に取り組めば、ロシアの権力内部に深く友好的に潜入せざるを得なかったのである。しかしアメリカにはそれが面白くなかったのであろう。アメリカの傀儡国家であるべき日本が、アメリカの天敵であるロシアと友好的なパイプを作るとは何たることか、ということである。このあたりの事情については鈴木宗男連座して逮捕された元外務官僚、佐藤優の著書に詳しいが、検察は獄中の佐藤優に、もし北方領土の返還に成功して日露平和条約が締結されていれば、あなたたちは日本の英雄になり得たであろうが現実には失敗であった、だから国策としてあなたたちは捜査対象になったのだという意味合いの発言をしていたようである。要するにわかりやすく噛み砕いて言えばこういうことになる。北方領土の返還そのものは日本の国益であるから日本の権力はその実現に向けての努力の妨げはしない、しかし結果的に失敗に終わってロシアとの友好的なパイプだけが残る状況は日本のご主人様であるアメリカの機嫌を損ねることになる、それは日米同盟の観点から好ましいものではない、今後同種の政治家が日本に増えると困るのであなたたちは政治の表舞台から失脚しなければならない、そのためには日本の検察はマスコミと協力関係のもとどんな些細な理由をこじつけてでも犯罪人として処罰する、なぜならそれが日本の正義なのだから、ということである。
小沢一郎は、民主党が政権を獲得するにあたって脱官僚の政策を掲げ、国民のための政治へと根本的な改革を図ろうとしていた。また、そのような改革を為し得る日本で唯一の政治家であるとも言えた。アメリカの相手国に対する占領政策は、チェ・ゲバラの手記を読んでいればよくわかるが、その国の官僚やマスコミ、財閥などの管理者的な勢力を一斉に押さえてしまうことである。それら管理支配層がアメリカの意図に対して従順に動くような社会秩序へと仕向けるものである。アメリカという国は建国以来、日本だけでなくそういう従属化政策を他国に対して何度も行ってきているのでノウハウが蓄積されているのであろう。また、そのような覇権主義アメリカという国の伝統であり、本質であるとも言える。よって小沢タイプの政治家は、既存の体制維持を破壊する可能性があり、また背後のより大きな権力(アメリカ)が屈服させたり懐柔させることが難しいと考えられるゆえに危険人物と目されるのだと思われる。
陸山会という資金管理団体が4億円の土地を購入して、小沢一郎が一時的に資金を立て替えていた。その4億円もの多額の資金の出所がどうも怪しい。しかし検察は小沢の秘書を逮捕してまで徹底的に調べたものの4億円が賄賂であることの立証が出来なかった訳だ。私は小沢一郎という政治家が、どこを叩けど埃一つ出ない潔癖な人間だとは思わないが、司法権力が説明責任という名の怪しさを罰することは恣意的な越権行為であると考える。ところが今回の検察の動きを振り返ると、ある時期に小沢の強引な訴追を諦めてしまったように見れるものである。それはマスコミが決して表沙汰にはしないことであるが、国民の批判が予想以上に多かったからだと思われる。大衆は馬鹿だから、検察やマスコミが提示する正義に全面的に同調してくれるものであるはずなのに、鈴木宗男の時とは違ってどういうわけか国民が賢くなっていて、物事の本質を弁えている人々の割合が増えている。このような状況は、日本の検察にとってもアメリカにとっても非常に都合が悪いことになる。なぜならアメリカの対日政策は、普天間基地の問題を見ても分かる通り、アメリカが日本の大衆に好意的に受け入れられることを大前提にしてマスコミや司法権力を操作しているからである。(操作という言葉が適切かどうかは微妙であるが、結果的にはそういうことである。)要するにアメリカという国が日本の世論に悪としてイメージ付けられることをアメリカ及び日本の当局は何よりも恐れるのである。だからこそ国民の正しい認識に基づいた声こそが日本を変えるための全てであると言えるものである。司法当局はそのような動き(声)を敏感に察知すると、途端に腰が重くなる。あまりに露骨なやり方(捜査)で背後に控えたアメリカを大衆の敵にしてしまえば、自分たちの立場がなくなるからである。現在、大衆への洗脳工作を引き摺るように動いている検察審査会だけが小沢の起訴を諦めていない状況にあると言えるであろう。
これまでの日本の政治において、検察が大掛かりな動きをする時には小沢一郎鈴木宗男だけではなく、日中国交正常化を行った田中角栄アメリカの国債を売りたいと発言した橋本龍太郎なども同じで、全ては良好な日米関係を損なわないために政治介入された結果であると思われるものである。しかし、そうであるならば日本の検察組織は、日本の税金からではなくアメリカの国費から報酬をもらうべきではないのか。また日本の新聞社はニューヨーク・タイムズなどの子会社になった上で社説を書くべきだ。それが道理であり、正論である。何度でも繰り返さなければならないが、我々国民の認識こそが全てである。国民主権の本道として、国民が当たり前の認識を高めていかなければ、我々は都合よく利用されるだけの運命にある。はっきり言うが、民主主義社会にあって国民の正しい認識を妨げる圧力こそが最大の悪である。