龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

空中庭園にて

そもそも、子供に大阪で星を観察させる夏休みの宿題が間違っている。宿題用紙の記入項目はいたって簡単で、“はくちょう座は見つけられましたか”、“ベガは何色をしていましたか”、“さそり座は見つけられましたか”、“アンタレスは何色をしていましたか”の4つだけなので適当に書いておけば良さそうなものだが、息子は「ほんまにちゃんと見て書かんとあかん。」と言うし、元妻は「勉強態度が評価されるから、やる気のないような答えを書いたら成績に響く」と心配して何度も私に訴えてくるので困ってしまった。
大阪で、はくちょう座など見つけられるわけがないじゃないか。友達はどないしてんねんと聞くと、どこかの山に見に行ったり、プラネタリウムですませたりだとか、いろいろのようである。よその家の親も大変である。それだけの質問を記入するためにわざわざ夜に山まで行っていられないし、プラネタリウムもどうかと思うので結局昨晩、梅田スカイビル空中庭園に元妻と息子の3人で星の観察に出かけることになった。梅田スカイビルは170メートルの高さがある。私は当日の朝、わざわざ近くのホームセンターに観察用の双眼鏡まで買いにいって天体観測に臨んだのである。
大阪を一望する空中庭園は涼しくて、夜景の見晴らしが綺麗ではあった。しかし案の定、肝心の空は星座どころか、星ひとつ見えない。曇ってもいたし、空全体が湿気で澱んでいるように感じられた。時期も悪いのかも知れない。空気が澄んだ秋空であれば、星座はともかくいくつかの星は見れたであろうが、湿った空気の中でじっと空を仰いでいると、濁った水槽の中から外の世界を覗いている金魚になったようでみじめな気分に陥ってきた。
元妻と息子は早々に星の観察を諦めて、大阪の夜景を楽しんでいた。“双眼鏡を持ってスカイビルの展望台まで観察に行きましたが、残念ながらベガとアンタレスは見れませんでした、もし見れたとすればベガは白色でアンタレスは赤色だったと思います”、と書く以外にないということに落ち着いた。それで息子の今夏の宿題は全て終了ということであった。
星空観察はともかくスカイビルの空中庭園で私が感じたことがある。僅か170メートルの高さでこれほどに涼しいのである。ところがエレベーターで下降して地上に降り立つと、途端にまた耐え難い熱気に包まれる。確かに今年の夏の暑さは際立っているし、世界的な異常気象が続いているようであるが、我々が感じている暑さのほとんどは地上数十メートルの生活圏内にこもった熱気なのである。昼間に吸収された太陽熱が放出されずに夜間になってもこもっているために、皆が付けるクーラーの排熱でより一層、都市空間が熱せられることになる。昼間にもろに太陽熱を吸収している路上のアスファルトなどの舗装材料や色を改良して熱放射率を高めることが出来れば、かなり環境問題に寄与できる余地があるのではないであろうか。アスファルトはひび割れを防ぐためであろうが粘度が高く、いかにも熱を吸収しそうである。また車などの走行時の安全性の問題はあるが、色合いと熱反射率の関連性をスマートで統一された都市景観の問題と合わせて、国を挙げて研究していくべきだと思う。ところが現状では、毎年度末に税金を垂れ流すように必要性があるのかないのかよくわからないような舗装工事が、あちこちで漫然と行われているに過ぎない。これは昼間と夜間の1日における熱量移動の問題だけでなく、季節的な太陽熱蓄積と放射にも繋がる重要な都市環境問題である。
環境問題の緊急性が高まりつつある今日であるが、日本は新しい時代に向けての都市開発を基礎研究のレベルから本腰を入れて取り組むべきだと思う。それがまた将来的な景気回復の足がかりにもなるのではないかと思うのであるが、日本は旧態依然とした既得権益に囚われた思考から脱することができないから毎年、同じことばかり繰り返している。先進的な意識を持ち得ない政治家や官僚は日本に不要だ。星は見えずとも、大阪の夜景を見渡しながらそういうことを考えさせられたひと時であった。
最後に微かな秋の気配を感じながら一句、
アスファルト 蝉の亡き骸 虫の声