龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本の平和とマスコミ

8月13日であったか、NHKの特番で“色つきの悪夢”と題した第二次世界大戦のドキュメンタリーフイルムが放映されていた。
ヒットラースターリンの姿が、生々しくも美しいカラー映像で目の前にリアルに迫ってきた。砲弾で倒れた市民の無残な死体、敗戦直前に毒を飲まされて死んだゲッベルスの子供たち、強制収容所に送られるユダヤ人の表情、まさに鮮烈な悪夢の映像体験といえる番組であった。確かに我々は、戦争をモノクロフイルムの無機的な報道イメージで捉えてしまいがちである。しかし戦争で流される血や横たわる死体は、何十年前であろうと何百年前であろうと当時の人々の目には、モノクロではなく色彩豊かなカラーの現実そのものなのである。
このような貴重な映像フィルムを惜しげもなく一般放映するところに、NHKの強みと存在価値を感じさせられたものではあった。しかし毎年、終戦記念日間近に放映される戦争フィルムを見るたびに思うことがある。確かに戦争の悲惨さを後世に伝えてゆくことは大切である。そういう意味では今回のように、デジタル処理で色付けされた映像は画期的な試みであったと思う。多くの国民の胸に、戦争の悲惨さと平和がいかに大切であるかのメッセージは伝わったことであろう。しかし、それでは日本人がこの平和を維持していくために、二度と戦争を繰り返さない国であり続けるために具体的に何をどうすれば良いのかということになるとまったくの思考停止となる。平和と抑止力の矛盾を解消できずに、普天間基地の問題一つ解決できない。戦後65年間も一貫して国家としての根本思考を放棄し続けてきたからである。
憲法9条戦争放棄が謳われていることは、平和時における一つの抽象的な理念のようなものであって、本当に戦争が回避不能の切羽詰った状態に追いやられた時には何の意味も持ち得ないと思われる。憲法9条尊い精神に他国が敬意を表して、日本だけは攻撃しないと国連で宣言してくれるのであればそれもよいが、現実にはそうもゆかないであろう。それは有事の際に日本がどのように変貌するか、本当に戦争放棄の立場を貫けるかどうか、どの国も基本的に信用していないからだと思われる。そして、その不安は日本人の1人として私もまた同じ思いである。当たり前のことであるが、平和を守るためにも独立国家として、主体的かつ能動的な自主精神が必要なのである。何となくアメリカの抑止力に守られていて、念仏のお題目のように平和を唱えているだけの受身的な均衡が本当は一番、危険な状態だと私は思うのであるが、いかがであろうか。
たとえば日本が侵略の危機に立たされた時に、複雑な国際情勢の下でアメリカの軍事力がどのように行使されるのかは実際にはその時になってみないとわからないことである。あるいは日本がアメリカとともに開戦を決意しなければ実質的に日本が見捨てられる状況は大いにあり得るであろう。これからの時代は地球規模における人口問題、環境問題、食料問題等が戦争を誘発する不安要因として大きくなってゆくであろう。
平和についての受動的な国家政策は、現実レベルにおける危機管理が決定的に欠落するゆえに極めて危険なのだと考えられる。もちろんアメリカを敵対視する必要はないが、あまりに絶対視するのは問題だ。本来、国家間の同盟関係とは敵対視する必要性はなくとも、絶対的に依存も信用もしない中庸的な態度が取り得るかどうかが健全性と安全性の指標となるのではないか。ところが日本は、アメリカとの関係を深化させ続けると発言する立場から1ミリたりとも外れることが出来ない深刻な危険性を背負っていると言える。民主党は、アメリカと距離を置く政策を取るべきだ。そして日米同盟の質をゆるやかに変えてゆかなければならないと思う。そして憲法9条国民投票で改定を問うべきだ。それが日本の真の独立へ向けての第一歩である。
NHKの特番、“色つきの悪夢”でアナウンサーが戦争について、「我々も反省しなければならないことがある、それは当時、NHKが戦争のプロパガンダの役割を果たしていたからだ」と沈痛な表情で若者たちに語っている場面が印象的であった。しかし敢えていやなことを言わせていただければ、NHKの体質は65年前も今も基本的にはまったく変わっていないのではないのか。皮肉な言い回しであるが、ただひたすら戦争の悲惨さを鮮明に国民に植え付けつつも、平和を守るためにどのような国づくりを為してゆくべきかの根本政策については国民全体が思考停止に留まり、そこからはみ出さないよう情報統制することが、日本国家がNHKに求めている今日的なプロパガンダであるともいえる。国営放送としての性質上、止むを得ない部分はあるが、今日のNHKが戦時中とは違って国家権力から独立して権力の暴走を抑止している訳ではないのだ。そう見えるのは、ただの見せ掛けに過ぎない。それは民間の放送局にあっても、多少の温度差はあれども基本的には皆、同じであると思われる。
よって日本が、アメリカなどの圧力などによって否応なしに戦争に突き進まざるを得ないような状況に追い込まれれば、一夜にしてNHKを筆頭に全てのテレビ放送は、戦争肯定のプロパガンダへと変わるであろう。それがマスコミの本質である。戦争フィルムがモノクロからカラーに変わろうと、65年前も今も、見掛けはともかく国家が国民を支配する実質は何も変わっていないと私は思うのである。だからこそ我々国民の一人一人がマスコミの誘導や操作に惑わされないように意識を高めて、全体的な国民の利益そのものを政治に反映させるような社会システムを構築していかなければならないと思うのだ。マスコミの情報統制は戦争中だけでなく平時にあっても横行している。マスコミの欺瞞とインチキを暴くことこそが全体の国民意識を高めてゆくために避けて通れない道であり、社会的な善であると私は考えるものである。もちろん必要以上にマスコミを敵対視する必要はないにしてもである。