龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

善と悪のイメージ

政治手法ということで大別すれば、小沢一郎金権政治ということになるのだろうか。小沢一郎田中角栄の流れを受け継いだ土建に強い政治家で、菅直人は左翼的な市民運動出身であるから、イメージ的には小沢がダーティーで菅はクリーンということになっている。
また菅自身が小沢の政治手法について、金と数の原理が濃厚だと批判している。しかし小沢と菅のこれまでの経歴による先入観から一歩離れて、現時点での民主党内での対立構図を考えた時に、果たして本当に小沢がダーティーで菅がクリーンと判で押したように決め付けることが正しいと言えるのであろうか。
小沢のもとにこれまでどれだけの政治献金陸山会を通じて集まっていたのか知らないが、それらは本当に私服を肥やすためのものであったのか。資金管理団体を通じて企業が特定の政治家個人に対して献金をすることは現在の政治資金規正法では抜け道的に認められている。もちろん献金と利益供与の因果関係が証明されれば賄賂となるが、検察は収賄容疑だけでなく政治資金収支報告書への不記載についても小沢を不起訴としたのである。メディアは連日、小沢を極悪人のように喚き立てているが私には何が問題なのかよくわからない。
ともかく仮にこれまで小沢が集めてきた金に違法性が存在したとしても、その金が民主党の運営や選挙費用に賄われていれば、小沢派であろうが反小沢派であろうと民主党議員は少なからず全員がその恩恵に浴していたはずである。それとも小沢派と反小沢派で民主党内の会計を二つに分けていたとでもいうのか。
現実的には党の会計は幹事長が配分する権限を有しているのであろうが、政党助成金と各種献金も合算して管理、分配されていると見るのが自然であるから、民主党内で小沢が金に汚くてその他大多数が清潔だなどと言えないはずである。
もちろん派閥の論理で誰かに巨額の金が行き渡り、誰かが資金的に干されるということはあり得るだろうが、国民の視点から見ればそのような党内部の不平不満や恨みはどうでもいいことである。重要なことは総額300億円もの金が我々の税金から各政党に支給されているということであって、それらの金が国の発展や我々国民生活の向上のために役立てられているかどうかということに尽きる。
メディアが揃って金科玉条のごとく主張する政治と金の問題を突き詰めれば、あるいは清廉潔白な政治家代表の菅直人が批判するところの悪しき金と数の支配原理を政治の世界からなくすためには、先ず第一に政党助成金を民主的かつ公平に一年生新人議員からベテラン議員まで頭割りで分配支給するということ、第二に政党助成金の使途そのものを党則で徹底的に仕分けをして節約し、1円単位で国民に公開すると共に余った金を年度末に国に返納することだと私は考えるものである。このような制約は自由な政党政治活動という観点から考えれば望ましいことではないのかも知れないが、小沢的なる政治手法を一方的に悪と断じ、その一方では政党助成金で日常的に漫画や化粧品を買ったりしている政治家を放置するのではとてもではないが公平とは言えないのではないのか。
この二つの取り決め案に対して、菅直人及び菅直人を支持する民主党の議員たちがどのような反応を示すかを想像すれば自ずと立ち現れてくる真理がある。要するに政治と金の問題は政治世界全体の構造上の問題であって、単純に菅が善で小沢が悪などと二分してレッテルを貼れるものではないということだ。そこには程度の問題しかないのだ。また今の時代は田中角栄の時とは違っていわゆる小沢的なる政治手法で一政治家が巨万の一財産を築くようなことなど土台、不可能であろう。
私はとくに小沢の肩を持つつもりはないが、今のマスコミの論調は国民の政治家に対する善悪のイメージ像を一方的に植え付けるものであり、検察審査会の決定に影響を与えることを企図したものであると思われるゆえに社会的な危険性と問題が大きいと言えるのではないであろうか。