龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

メディアの悪徳

現在の政治資金規正法においては企業および業界団体の政治家個人に対する献金は、企業および業界の意向によって政治施策が歪められることになるとして一切禁じられている。ところが企業および業界団体から政党や政党が定める政治資金団体献金することは認められている。
ここに日本の政治と金をめぐる大きな矛盾と問題が存在すると考えられるものである。企業が政治家個人に献金をすることに賄賂性があるとするならば、企業及び業界団体が政党や政治資金団体献金することにはより大きな賄賂性があると考えるべきではないのか。しかし現在ではこの“より大きな賄賂性”が善なる社会性に摩り替えられてしまっている。企業が政治家個人に献金すれば不正行為で、政党に献金すれば社会貢献になるという単純な分類はあまりに馬鹿げている。政党に公共性があるとするなら政治家個人にも公共性はあるのであり、反対に政治家個人に公共性がないなら政党にも公共性はないのである。
政党と一政治家をそれほど明確に線引きできるものではないであろう。
ところがメディアの全体的な論調はこの矛盾を見えなくする方向性で統一的な世論誘導が行われているものである。具体的には小沢一郎のような悪のイメージを徹底的に大衆に植え付けることで、これまでの大企業と権力が結びつく社会構造に根本的にメスが入れられることを妨害しようとするものである。その一方で企業や業界団体の政党への献金はまったく問題視しようとしない。メディアがこれほどまでに連日、一つ覚えのように“政治と金”を言い続けるならば、どうしてその問題の根源である企業献金そのものの有り方を問おうとはしないのか。説明責任はメディアの方にこそあるのではないのか。
年間に300億円もの金が政党交付金として国庫から支出されているのである。よって当たり前のことではあるが政治とは管理者的な一部の優越層のためにあるべきではないのだ。しかし現実的には、企業献金によって政治が本来の国民全体のための政策から離れマスコミや大企業などの社会的強者を優先するものになっている。民主党自民党から政権を奪還できたのは本来この点を問題として変革してゆくところにあったはずである。ところがメディアの度重なる情報操作で民主党自民党の大企業優先へと懐柔させられてしまった。はっきり言って菅直人など、今や官僚と資本家の走狗である。左翼の悲しい性というべきか権力を糾弾している時には威勢が良いが、自分が権力機構の頂点に立つと自己保身しか考えれない政治的本性と脆さを露呈するのである。
人それぞれ政治に対する見方はあるであろうが、政治をメディア・リテラシーとの関連で考察することが皆無の今日的な状況はあまりに危険である。メディアこそが国民生活の敵である。