龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

柔らかなファシズム

“政治と金の問題で小沢一郎氏の説明責任は果たされていると思いますか”
知らんがな、そんなこと。設問そのものがおかしいではないか。これは日本語の読解力の問題である。果たされるべき説明責任があるという前提条件のもとで聞いているわけだから、回答者が果たされていると答えにくいのは当然である。また説明責任があるという前提は、その背後に不正があるという断定に基づいたものである。よってこの設問内容で、(果たされていると)思うと答えることは、“私は不正行為を支持します”と言っているのと同じことになる。思わないと回答する人が8割ぐらいの割合になるのは当然である。
“起訴される可能性のある小沢氏の代表選への立候補について納得できますか”の設問も同様である。設問そのものが、起訴される可能性のある政治家が立候補することが間違っていると主張しているのだから、“納得できる”などと答えようものなら回答者自身が犯罪者予備軍の烙印を押されることになりかねない。
小沢一郎菅直人のどちらが民主党の代表に相応しいとおもいますか”の回答結果は、上記二つの設問から必然的に導かれるものとなる。こういう設問を誘導尋問というのである。明らかな誘導尋問であっても数値として公表されれば、その数値に引き摺られて世論が固められてゆく。小沢か菅かという問題以前に、メディアによってこのような警察や検察の取調べのような世論調査が許されてよいものであろうか。これは調査ではなくて、意図的に世論が作られているのである。実質的には民主主義に相応しいものではなく、ファシズムだ。
このようなメディア主導による柔らかなファシズムを放置し続けるとどのような社会になるであろうか。そこには草むらのコオロギのような民意しか存在し得ない。一匹一匹が命を削るが如く懸命に羽を擦れども、所詮聞こえてくるのはコオロギの鳴き声だけである。人のささやき声はどこに消えようか。