龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治とカネの正体

「政治とカネ」の問題に関しては、少なくともそのキャッチフレーズはもう、うんざりするほど聞き飽きているのであるが、結局何が根本的に問題なのか、ということについて我々国民は思考放棄してはならないと思われる。日常の生活空間の上辺に蔓延る情報に惑わされてはならない。民主党の前原氏を初め、菅前首相、野田現首相までもが外国人献金問題の火の手が上がっている。金額が少額であったとか、ご当人たちは献金または外国人であることの事実を知らなかったと言い逃れしているが、果たしてそういう問題であろうか。
民主党は野党時代には当然のことながら、資金的に逼迫していた。財界の金持ち企業は皆、自民党に多額の政治献金をしていて、民主党にはほとんど見向きもしなかった。よって民主党は筋の良くないところから金を集めざるを得なかったのである。たとえばマルチ講の企業であるとか、アダルトビデオ制作会社とも関係があったことが噂されていた。そして在日外国人からの違法献金もその集金源の一つに含まれていたのだと思われる。民主党の中でただ一人の例外が、小沢一郎氏であった。小沢氏の集金能力は民主党内で傑出していた。東北地方における公共事業のゼネコン企業選定に絶大な影響力を有していたからだ。そのあたりの事情については、森功氏のノンフィクション『泥のカネ』(文藝春秋)に詳細に書かれている。水谷建設の元会長、水谷功氏の半生に亘った政財界との関係の暗部が書かれたこの本は、一読した限り大変信用性がある内容であり、ノンフィクションとしても非常にレベルが高い。具体的には書かないが名前の出された各政治家は、ここまで調べられればおそらく、ぐうの音も出ないであろう。但し、小沢氏の刑事責任ということに関して言えば、小沢氏の金庫番であった元秘書、大久保隆規氏がゼネコンに対してかなり行儀の悪い政治献金の要求をしていたであろうことは間違いないと思われるのだが、小沢氏の関与を立証することは『泥のカネ』を読んですら難しいように私には感じられた。検察が不起訴にせざるを得なかったのは当然だと思われる。今後の小沢氏裁判の争点が、単に政治資金収支報告書への不実記載の責任有無についてでしかないのであれば、法の下の公平性の観点から見ても、野田首相や菅氏、前原氏も外国人不正献金問題で立件、起訴されるべきではないのか。ともかくこれまでの民主党内の親小沢派、反小沢派の対立構図は決して反小沢派が政治とカネの問題についてクリーンで、親小沢派が汚いといったメディアが誘導してきたような単純な区分に収まるものではないと思われる。小沢氏が圧倒的な集金力を誇り、当然その金の力で党内に数の力をも歴然と保ってきたことに対する反感というか、やっかみが強く渦巻いていたのだと思われる。よって集金能力に違いはあっても、モラル的にはどちらもどちらなのであるから、野田首相の掛け声一つで簡単にノーサイドにしてよいものかどうか国民とすれば疑問の残るところである。それでは今までの民主党内の対立は国民にとって何だったのか、ということにならないか。
民主党は、野党時代に資金集めに苦労してきた経験から絶対に政権を手放したくないという執念があるであろう。そしてそのような動機による政権執着が、政治改革の妨げになっているものと考えられる。具体的には、政治とカネ問題の根本である企業献金、団体献金に本気で踏み込もうとしないことだ。これまで資金集めで散々苦労してきたのだから、またいつ下野するかわからないのだから、少なくとも政権の座にある間だけは好い目を見たいと考えている議員がほとんどだからだと推察される。現在の国会議員の品性など残念ながら、その程度のものである。嘘だと思うのなら、森功氏の『泥のカネ』を熟読すべきだ。いやというほどよくわかるであろう。
国民の立場で考えれば、これまでの政治献金は全面的に禁止すべきだ。何にそれだけ政治に金がかかるのか、まずはっきりさせるべきだ。事務所の家賃や光熱費に固定費がかかることぐらいは理解できるが、それ以外はあまりに不明朗である。冠婚葬祭の香典や祝い金、また査察名目の旅行等に金をかけ過ぎているのであれば、今の民主党議員のレベルから見てそれ自体が犯罪的である。また今の選挙方法自体があまりにも不経済であるというか、金の垂れ流しであるとしか思えない。選挙カーの遊説による「お願いします。」の掛け声は、やかましいだけで何の意味もない。あれこそ資源エネルギーの無駄遣いであろう。結局、全ての候補者が同じ条件で戦えばよいのだから電波やインターネット、および定められた会館、講堂での演説に限定すべきだ。徹底的に選挙及び政治に掛かる費用を切りつめて、それでも尚、政党助成金だけでは足りないというのであれば、企業、団体献金を全面廃止した上で、国民が支持する政党か支持する政治家を選び各種税金を支払った手取り収入の1%を献金することを法律によって義務付けるべきだ。献金先は4カ月ごとに見直しできるものとする。国民の家計支出は増えるが、これこそ健全な民主主義のためのコストと言えるであろう。この方式を採用しなければ、選挙の時だけ国民を上手く騙し、権力を掌握した後は、官僚や大企業の財界と癒着する構図は絶対に変わらないであろう。マスコミはマスコミで重箱の隅をつつくように政治とカネの問題を暴き立てるが、企業献金廃止そのものには消極的というか反対なのである。政治には金がかかるから企業献金は必要だなどと主張している。これほどのインチキがあるか。マスコミは政治とカネの問題追及だけが、政治に影響力を行使し得る切り札なのである。だから一方で切り札を制度的に温存させながら、フルに政治への介入を続けているのである。こういう基本的なことを全国民が理解できなければ、日本は変われないのである。おわかりか。