龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

名誉棄損が成立するのか

企業広告というものは、一義的には売り上げや知名度を高めるための宣伝活動であるが、時と場合によっては、それ自体が一つの独立した作品として評価の対象にもなり得るものである。よって見る人によって、素晴らしいとか、好感が持てると評価される場合もあれば、陳腐だとか、内容がないと批判されることがあったとしても、それはそのひとの見方なのだから仕方のないことである。それを陳腐と言っただけで名誉棄損が成立するのであれば、公共の場でその広告作品に対しての感想を求められた時には、内心では陳腐と思っていても、斬新だと言って誉めそやさなければならないのかという理屈になる。もちろん社会に対して影響力や発信力のある政治家や有名人が、対象の企業を悪意を持って貶める意図で、或いは公共的な利益とは全く無関係に、何ら評価すべき必要性がない場面で「陳腐だ」と愚弄したのであれば話しは別である。しかし民主党大西健介議員は、美容外科業界の強引な勧誘を問題視する議論の中で、広告規制について触れ、『イエス○○』と企業名を連呼するだけのCMなど、陳腐なものが多くて、患者が医療機関を選ぶ上で有用ではないと発言したものである。この発言は、政治家の問題提起の在り方とすればきわめて真っ当なものであり、高須クリニックをターゲットにして、不当に貶める意図のもとでなされたものでないことは、常識的に考えればわかることである。政治家が広告の内容を問題視したからと言って、広告主である企業や経営者を批判していることには、直接的にはつながらないはずである。仮にこういうことで名誉棄損が成立するのであれば、政治家は業界の問題や営利追求の行き過ぎについて、何の発言も出来なくなってしまうではないか。私は美容整形業界については、何の関心も知識もないので、問題があるのかないのかコメントすることはできない。しかし一般論で考えても、様々な業界が営利追求の暴走で消費者に不利益をもたらしている現実は確かにあるものである。美容外科業界の宣伝や顧客の集め方に問題がないのであれば、高須氏は業界を代表して反論すればよいのであって、広告が陳腐と言われたから大西議員と民主党に損害賠償請求をするというのは、私は筋道が違っているように感じるものである。我々の代議制民主政治には膨大な税金が投入されているのである。政治家が一企業に訴えられることを恐れて、業界全体の問題を言及できないような世の中になれば、言論の自由のない全体主義の暗黒社会と同じである。但し私は美容外科業界のことは門外漢なのでわからないとしか言えないが、医療業界全体の大きな枠組みで見れば、薬の副作用であるとか、製薬業界と政治との癒着であるとか、深刻な問題が山のように伏在しているはずであり、政治が今、とりあげる問題としてそれだけの重要性なり優先性があるのかと言えば、疑問であることも事実である。結局、政治は手を付けやすいというか、御しやすそうな分野なりターゲットだけを選んで問題視するから、強烈なしっぺ返しをくらうのである。本当に政治不在の国であるというか、誰を応援してよいものかよくわからない時代である。