龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

無能の作為

これは非常に大切なことだと思うので強調しておきたいが、小沢一郎氏の政治資金問題に対して首相になることで訴追から免れようとしていると見られている疑念が存在するから、訴追に応じると事前に表明することを検討する動きがあるようであるが、一見するところ職権の不正利用を防いでいるように見れるから正しい措置のように思われるかも知れないが、よく考えれば政治本来の筋道から外れているのではないのか。
というよりもこのような報道記事そのものに作為的な誘導が強く感じられるものである。憲法75条が規定するところの内閣総理大臣の同意がなければ在任中の国務大臣を訴追できないとの条文は、何も大臣を特権的に保護するために存在するのではなく、政治空白が国民生活に支障を来たさないようにするためのものであることは当然であろう。
起訴されれば無条件に訴追に応じろ、という意見は、一般的な国民感覚に寄り添っているようでありながら、その実、根本的には国民生活に目を向けていないものである。特に小沢は普天間基地の問題について、もう一度仕切り直してアメリカと話し合うと言っているのだろう。鳩山では力不足で出来なかったことを、菅は端からしようとする気にさえなれなかったことを、小沢は自分がやると言っているのだ。沖縄県民なら心情的に期待感を持つのは当然だ。それを総理大臣になった途端に訴追に応じて辞任するという言質を今の時点で取り付けることに一体何の意味があるのか。
そういう馬鹿なことを平気で言う議員の名前さえ出す気にはなれないが、本質的なことは自分自身がどう考えるか、ということではないのか。同じ党に属して同志として小沢一郎の近くで働いているのであるから、我々一般の国民より何十倍も正しく判断できる境遇にあるだろう。自分の目で見て、小沢一郎が訴追から逃げる目的で代表選に立候補すると思うのであるならば、そのような不純な動機で選出される総理大臣など認められないとはっきり言明すればよい。そうでないと考えるなら小沢一郎はそのような卑怯な目的で立候補しているのではないと正々堂々と言うべきだし、よくわからないのであれば正直によくわからないと認めるべきだ。
それを人事のようにそのような“見方”があるから訴追されれば応じることを表明をせよ、などという思考回路は、一人の政治家としての基本的な見識を持ちえていないことを公表しているのと同じだということがわからないのだろうか。前回、書いたことでもあるがこういう人間が決して信念を持ち得ないタイプの政治家だと私は思うのである。良心と信義に基づいた自分の判断、自分の発言に責任をもてないのであれば政治家としては明らかに不適格であるから、とっとと辞めろといいたい。