龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

民主党は分裂せよ

民主政治の根幹は、目指すべき社会についての理念と方向性をしっかりと共有するところの政党を確立させることであると私は思う。今回の民主党代表選において、菅と小沢が志向する政治は、建前がどうであれ実質的には正反対のものである。そのような相対立する考えの集団が、一つの政党内に収まって政治活動することが正しい道であると言えるのであろうか。
そもそも去年の衆議院選挙において、民主党はこれまでの自民党政治による官僚主導や大資本優遇の社会体制から、国民生活を重視する国民主権の政治へとはっきりした対立軸を打ち出したことによって国民から支持され政権を与えられたものである。ところが今の菅直人の政権は、口先でどのようにごまかそうとも、自民党政治以上に強者迎合、弱者切捨ての政治であるように思われる。今回の総裁選は、菅直人が支持されたのではなく、菅直人という一政治家が代表する社会的強者の既得権益がメディアの圧力によって守られたのだ。よって大人しく既得権者の言うことを唯々諾々と聞く政治家であれば、菅直人でなくとも誰でもよかったということになる。
要するに日本の総理大臣とは無能であれば無能である程に適任だという絶対的な真実を前に、一人の日本人として死にたくなるような絶望感に囚われる。これでは1年間に3万人もの人間が自殺するのは当然である。誤解のないように言っておくが、私は菅直人という一政治家を誹謗しているのではない。菅直人が象徴する、あまりに日本的な政治宿痾に悲観しているのである。同様に小沢一郎という一政治家を擁護しているのではない。私はメディアや司法権力がそれほどまでに小沢を弾圧するのであれば、反対に社会改革の“邪魔”であるからむしろ小沢には政界から消えてもらいたいぐらいだ。しかし小沢と菅の間にある政治的な対立そのものは、うやむやにしたり消し去ってしまってはならない。それでは政党政治の意味などまったくないではないか。メディアや官僚の権益を守るだけの“同質空気”に包まれた政治にどうして我々国民の莫大な税金がつぎ込まれなければならないのか。
今後、メディアは民主党を分裂させない方向性で一致団結した誘導を全力で図ろうとするであろう。それは政治の世界から真に民主的な対立軸を見えなくさせるだけではなく、消滅させてしまうためである。しかし、そうはさせてはならない。民主政治とはあらゆる社会層の対立構図の中で政策が練られて、国民の声が世界をより良くしていける実感を感じ取れるものでなければならない。そうでない政治はファシズム政治なのだと思う。日本という国はメディアが政治に介入しすぎる異質な抑圧社会だ。この状態をいつまでも放置すれば我々の社会は見せ掛けはカラーであっても、本質的には強者迎合という1色の色だけで描かれたモノクロ絵画のようになってしまうであろう。私も含めて多くの国民があまりに馬鹿馬鹿しくて政治に目を向ける気持ちもなくなるであろう。政治が民主政治であるための最後の一線を守るためにも、民主党は早急に分裂し、菅直人的強者迎合政治に対立する“声”を隠滅させることなく保全していただきたい。メディアに都合のよい声だけを際立たせ、都合の悪い声を消し去る社会主義などもうこりごりだ。