龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

我が総括

民主党には今回の代表選で決定的に愛想が尽きてしまった。私はもう民主党を応援する気持ちは一切ない。というよりも応援すべき政党ではない。どう見ても腐っている。しかし官僚やメディア勢力からすれば腐っている果物の方が、新鮮で美味しいのであろう。
私は自分の精神と魂の健康を守るためにも腐った果実を食するつもりはない。食べたい奴らだけが食べればいいのだ。腐っているか新鮮であるかの判定はともかく、自民党の谷垣総裁が言うとおり民主党アイデンティティーを喪失していることだけは確かである。アイデンティティーを喪失しているということは大義がないということだ。民主党は政権を獲得してから1年少しになるが、政権運営能力と言うことで見れば未だに素人集団である。本当に国民のための政治を為すという健気な甘き匂いを少しでも留めているのであればともかく、早くも権力の美味に溺れ、堕落してしまっているような集団を何で我々国民が応援しなければならないのか。民主党は実らずして腐った出来損ないの果実である。見るのもいやだ。
小沢一郎にも言いたい。代表選で、政治生命だけではなく自らの命そのものをも賭けると何度も決意表明していたが、“何に対して”賭けていたのか。それは単に民主党内での権力掌握だけが目的であったのか。そうであれば謀反で破れたようなものだから、“一兵卒”として大人しく静かにしていればよいであろう。その内に捲土重来の芽もあるかも知れない。しかしもし自らの政治信条や理念に命を賭けていたのであれば、きちんとけじめをつけて離党し、本物の政治主導の改革を目指すべき新政党を立ち上げるべきではないのか。それが本当の意味における国民政治の大義ではないのか。つまらないマスコミの論調や正義に惑わされるな。マスコミの正義とは所詮、民主政治のあるべき姿を、日本という国家そのものを、情報操作の影響力が及ぶ派閥の対立レベルに貶めるものでしかないではないか。これでは何百年待とうとも、国民の政治意識など育つわけがない。
あるいはもうそれだけのエネルギーが残っていないというのであれば、奇しくも有罪が確定した鈴木宗男氏と仲良く同時期に刑務所に収監されたとしても個人的には同情する気持ちにはなれない。なぜなら我々国民にすれば政治家の権力闘争などどうでもよいことであって、政治家の価値とはその人の能力が物心両面にわたってどれほど国民を豊かにしてくれるかが全てであるからである。
何れにしても私はもう民主党を支持するつもりはない。おそらく多くの賢明な国民が見限ってきたように、後れ馳せながら私も見限らせていただくことにする。時間の無駄だ。
その代わり自民党に期待することにする。民主党よりは余程ましだ。自民党の谷垣総裁に言いたい。菅首相民主党内で再任されたと言っても、今や国民のほとんどは民主党に失望している。これ以上、民主党政権を延命させることは日本にとって好ましいことではない。一刻も早く解散総選挙に追い込んでいただきたい。マスコミが何をどのように説得しようとも、妥協して政策協力する必要はない。マスコミのお好きな言葉である“民意”は衆議院の選挙を望んでいるからである。早期に選挙が実施されれば(遅くとも来春までに)、自民党が先の参議院選挙の結果以上に議席を大幅に回復させることが出来るであろうことは目に見えている。その時に民主党は決定的にダメージを受けて、統一を保てることは不可能になる。沈みかけた船は早く沈没させた方が日本のためである。遠慮することはない。ねじれを利用して参議院で徹底的に抵抗していただきたい。
但し今後自民党が如何に議席数を回復させようとも、一度は国民に見捨てられ死に体の政党となったことは忘れないでいただきたい。自民党が回帰すべき過去の栄光と繁栄の政治モデルは今やどこにも存在しないのだ。時代の移り変わりだけは権力や圧力で止められないものである。いかにマスコミが結託して封殺しようともメディア誘導により形作られた世論に馴染まない、真理と本質に根ざした市民の声は近年、加速度的に増殖しているものである。政治は数の原理にあるとはいえ、最終的には大衆迎合の論理は真理と本質に打ち破られる運命にある。これら市民の“新しい声”をいかに内部消化して、新時代に相応しい政治モデルを構築してゆくことが出来るかどうか、自民党復権は党首にその才能と資質があるかどうかが全てである。今、はっきりしていることは菅直人にはその能力がまるでないということだけである。