龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

金か、モラルか

12月1日の読売新聞、夕刊に給食費未納の調査データが報じられた。2009年度に給食費の未納があった全国公立小中学校の割合が、前回2005年度の調査から11.8ポイント上昇し、55.4%となった。全児童生徒に占める割合では、前回比0.2ポイント増の1.2%、給食費総額に占める未納率は0.1ポイント増の0.6%で、全国の給食費約4300億円に当てはめると、未納額は前回より約4億円多い約26億円となる。
ここまでは良い。純粋に客観的な調査データである。ところが未納の理由について、“「保護者の責任感や規範意識の問題」が、前回比6.6ポイント減の53.4%だったのに対し、「保護者の経済的な理由」が同10.6ポイントと増えて43.7%になった”とある。文部科学省は、“「不況の影響がうかがえる一方で、保護者の意識の問題も依然として課題だ」として、保護者に子供手当てや就学援助制度給食費を支払ってもらえるよう、全国の教育委員会に対して通知した”そうである。
私が疑問に感ずるところは、“保護者の責任感や規範意識の問題”と“保護者の経済的な理由”を一体、何を基準に文部科学省は区別しているのか、ということである。単純に考えれば、給食費を払える経済的余力があるにも関わらず、払わない保護者が責任感や規範意識に問題があり、本当に払えないほど家計が困窮している家庭は、経済的な理由ということになるのであろうが、その二つを明確に区別することはそれほど容易いことではないはずだ。あるいは、生活保護を受給している家庭、または母子家庭という外形事実のみで線引きしているのかも知れない。各家庭の収入や債務、預貯金額まで国が把握しているわけがないからだ。仮にもしそうであれば、生活保護を受給しておらず、母子家庭でもないのに、給食費を支払っていない保護者は少なくともデータ上は責任感と規範意識の希薄な人間という範疇に分類されることとなる。しかし現実には、家計や資金繰りというものは、そんな単純なものではないはずだ。生活保護受給者や母子家庭の方がゆとりがあって、会社経営をしていて立派な大きな家を所有している保護者の方が、内実は火の車になっていて子供の給食費すら払えないという状況は今の時代いくらでもある。見掛けや杓子定規な指標だけで、断定することは危険だと思う。子供手当てや就学援助制度給食費を支払えという理屈は極めて真っ当だが、それは元々貧困な家庭を対象とした役人的な物の見方である。現実の生活は、昨日まで人並み以上の収入があった者が、突然失業したり、会社が倒産したりする。誰かの保証人になっていた人が、いきなり多額の債務返済を求められたり、自宅や預貯金を差し押さえられるケースも多いであろう。子供たちは、晴天の霹靂のごとく、突然不幸に巻き込まれるのである。もちろん保護者の責任感や規範意識に問題があるケースも少なからず有るであろうが、急激に悪化する経済や長期化する不況下の生活感覚と役人的な机上の論理は乖離している部分が大きいと思われる。役人的な思考と眼差しは市民生活を捕捉し得ていない。
これは給食費だけでなく消費税についても同様である。消費税の増税は末端の消費者よりも中小・零細事業者にとって致命的である。しかし消費税は預かり金であるから支払えないはずがなく、滞納する事業者はモラルや規範意識が欠如していると考える人は多い。計数的のみに考えればそういう理屈になるのかも知れないが、現実はそうではない。事業者が納税する消費税は、売り上げの消費税分と仕入れの消費税分の差額である。一取引につき、その差額分を分離して管理することなど不可能である。500円の物を仕入れて、1000円で販売したとする。現行の消費税率5%(外税)で計算すると、500円の消費税が25円で、1000円の消費税が50円だから、その差額25円が預かり金となり国に治めなければならない。ところがデフレの影響で、500円で仕入れた物が600円でしか売れない現実がある。600円の消費税は30円である。500円で仕入れた物が1000円で売れれば、500円の利益に対して消費税の預かり金25円となるが、600円でしか売れないと100円の利益で消費税の預かり金は5円である。一見したところどちらも利益部分の5%が預かり金となっているので計数的には変わりないように見える。ところが経営とは計数通りにいかないものである。なぜなら一取引につき500円なり100円なりの利益の集積から、家賃や人件費、ガソリン代や広告費、保険代などの様々な経費を支払ってゆかなければならないからである。事業者にとって消費税とは、預かり金でありながら実態的には最終的な利益の残余部分からしか支払い得ない、経営を圧迫する仕組みそのものなのである。大企業であれば赤字決算であっても内部留保があるだろうが、中小・零細企業はそうはいかない。デフレで売り上げが年々、底なしに落ち込んでゆくような現況下にあって消費税の増税は国内の中小、零細企業を決定的に全滅させてしまうこと以外に意味するところは何もないのである。
ところが政治家や官僚、また新聞の社説を偉そうに書いているような連中においてすら、このような単純な事実を意外と理解できていないのである。だからモラルだとか規範意識の欠如などという言葉を安易に多用したがる傾向が強い。政治家は自らの政治資金の工面に苦労している状態がほとんどだから、市民生活の家計の困窮についてもよく分かってくれているだろう、などという誤解を間違ってもしてはいけない。現在の民主党のように政権を担当する実力などまるで兼ね備えていなくとも、時流に乗って何かの間違いで実権を握ってしまえば政党助成金献金など数百億円ものコストの掛からない金が転がり込んでくることになる。パフォーマンスのように事業仕分けを国民にアピールしたところで根底にある感覚は、どんぶり勘定からさほど遠くない距離にある性質のもののように私には感じられる。それはマスコミもまたどこかでよく似た感覚を共有しているのではないのか。正義やモラルなどの万人が同意せざるを得ない言葉を巧みに操って、決して自分たちの利益を損なわない一つの大きな流れを通したり、守ってゆく態度がマスコミの本質だと私は思う。そういうマスコミ正義の圧力にへつらうような人間ばかりでは国が廃れて当然だ。
日本の事業者の9割以上が中小・零細企業である。消費税を増税することは、日本の9割の生活を壊すこととまったく同意である。そうなれば一部の富裕層以外、ほとんどの保護者が子供の給食費すら払えない、あるいは支払いを忌避するような状況を招くことになるであろう。そのような破滅的な事態になった時には一体どのようなモラルや規範意識が罷り通っているのだろうか。今ですらその兆候が色濃く現れているというのに。