龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

大義なき腐臭

思い返せば、あまり思い返したくもないが、昨年の9月には尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突させて中国人船長が逮捕される事件があった。その後に東北大震災が発生したため随分、昔のことのように思い出されるがまだ1年も経っていない。菅首相は11月に横浜で開催されるAPECの議長国代表としての自らの体面を保つことだけを考え、国益の要である領土問題に目を背け、穏便にと言うよりも有耶無耶に問題がなかったことにしようとした。那覇地検に対し中国人船長を不起訴処分とするように圧力を掛けさせた。一旦、領土問題が顕在化したのであれば、国の代表者としてたとえ外交が緊迫しようと、それなりに国の威信を傷つけない態度を示せなければならないことは、国際社会の常識である。ところがAPEC前の10月にベルギー、ブリュッセルで開催されたASEMで菅首相は、無視しようとする温家宝首相を何と廊下で呼び止め、「やあやあ」と間抜けな声を上げ、とても会談とは言えないような媚びを売るだけの立ち話に成功したことを自慢げに喜んでおられた。APECにおいても菅首相は、迷惑顔の胡錦濤国家主席に対し、肝心の領土問題を棚に上げて長期的な戦略的互恵関係の大切さをおざなりに何度も繰り返していただけなのに、APEC終了後は無事に大役を果たし終えたような、ほっとした顔をされておられた。
そういう国の威信など何とも思っていないような人間が、首相としての自らの威光を国民に放ち続けんとして、奇妙な屁理屈を捏ねながら、首相の座に居座り続けている。民主党の岡田幹事長が8月中に菅首相が退陣して、第三次補正予算は新内閣の下で編成するとの方針を示しているが信用してはならない。野党や国民の目先の批判を和らげるために、岡田幹事長が勝手に希望的観測の予定を語っているだけで、菅首相御当人は、はっきりとそう決めているわけではない。むしろ何とか続投の方向に風向きを変えられないかと、単にその時間稼ぎのために延命を計っているだけだと見れる。民主党執行部が、菅首相に一刻も早く辞めてもらいたいと願っているのは本音であろう。なぜなら、そうしてもらわなければ、収まりが付かない八方塞の状態に民主党が追いやられているからである。しかし自分のことしか考えられない菅氏が、大局的に党や国のことを考えて素直に勇退することは考えにくい。元々そういうメンタリティーの持ち主なのだから、仕方ないとも言えよう。そういう人間を総理大臣に押し立てたことが根本的に間違っていたのだ。民主主義の政党政治において、党が国益を離れて党利党略に走ることは、ある程度止むを得ない部分もあろうが、菅首相には、党利党略どころか“個利個略”しかない。そういう卑しさの独走を許してしまうところに日本の政治システムの欠陥があることを、菅氏の無能と低劣さが結果的に浮き彫りにしてしまっている。退陣の条件を煮詰めて確認することなど、ほとんど無意味である。その時期が来れば、むにゃむにゃと屁理屈を捏ねて反故にしてしまう権力を首相は持っているからである。だから問題は言葉遊びの屁理屈ではなくて、首相が信頼に値する人物であるかどうかということだけであるが、菅氏がまったく信用ならない人格の持ち主であることは恐らく衆目の一致する所であろう。
「1分1秒でも早く辞めた方がよい。」と民主党内の重鎮から声が上がれば、「最後の1分1秒まで全力で自らの職責を全うする。」と応える。菅氏は一事が万事この調子で詭弁ばかりに終始しているが、政治家としての根本的な信念や無私の精神というものが、私にはまったく感じ取れない。政治家というよりも政治屋である。テキ屋みたいなものだ。仮に百歩も二百歩も譲って、最後の1分1秒まで全力で自らの職責を全うするという、その意気込みを評価するとしよう。また菅氏が言う、辞任する時期についての“一定の目途”の定義付けについても、首相の権限範囲内の決定事項であるとしよう。しかし現状において先ず第一に国民の大半が菅首相を支持していない。支持率は20%を切っている。野党は菅氏が首相である限り内閣の体をなしていないから基本的には法案の審議にも協力できないという姿勢を取り続けてきている。民主党内からも菅氏は早く辞任すべきだとの声が大きくなってきている。このような状況下で菅氏が“一定の目途”まで辞任しない大義とは一体どういうものなのか、きちんと合理的に万人が納得できるように説明していただきたい。“一定の目途”まではどうしても菅氏でなければ駄目で、それ以降は後任の者でよいという理屈が明確に通れば誰も文句は言えないはずなのである。まがい物の大義さえ示せない首相に存在価値は皆無であるということだ。こういう首相が率いる内閣であればこそ、学校などで未だに避難所生活を送っている被災者たちに対して生活再建の見通しが立てられることもなく半ば見捨てられたような状態になりつつあるのではないのか。原発事故においても国民の健康と命を守る観点から真摯な対応と全面的な情報開示がなされたとは到底言えるものではなかった。今後の原発行政の在り方においても政局に利用しようとするから方向性が定まらず、いたずらに国民の不安と混乱を増幅させているだけのことである。
何度も言うが、自分のことしか考えられない精神構造の人間に何を言っても同じである。馬の耳に念仏で、説得できるものではない。今やもう、かなり深く依怙地な心境に陥っていると想像されるので説得は逆効果だ。なら、どうするか。そんなこと、私にはわからない。あなたたちが知恵を絞って考えろ。そのための国会議員ではないのか。それが、あなたたちの仕事なのだ。解散・総選挙も覚悟して菅の卑しさに立ち向かえ。