龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

錯誤詐欺の政治

油断すれば騙される。これは老いも若きも、現代社会の日常を生き抜く上で絶対に必要な心構えだ。本当に、今の世の中は“騙し”のテクニックに満ち溢れている。
一例を挙げれば、どこからか中小・零細事業者向けに請求書が届く。普通は身に覚えのない金など誰も支払わない。しかし請求書の体裁が公共料金か何かの督促状によく似ていたりすると、100人に1人ぐらいの人間は内容をよく確認することもなく請求通りに振り込んでしまうことになる。これが20万円ぐらいの請求であれば騙される人はいないであろうが、実際には1万8千円とかの微妙な金額であったりする。経理専門の社員を雇っておらず、社長が何から何まで1人でやっている零細事業者であれば日々雑務に忙殺されているであろうから騙された方が悪いとも言えない。その請求書を仔細に点検すれば、隅の方に小さな文字で申込書と印字されている。機関紙か何かの申し込みと請求書が1枚の用紙で兼ねられているのだ。こういうのを錯誤詐欺あるいは錯覚商法という。一口に錯誤や錯覚と言っても無数にあるであろうが、その代表的な手口が上記の例のように、一つの様式や書面、言葉に二重の意味が込められていて、騙している側はその片側の意味だけに自らの正当性の根拠を置きつつ、もう一方の意味である錯誤や錯覚へと巧みに誘導する。抗議されれば、請求書と言う名の申込書をよく読まなかった方に落度があると主張することとなる。
さて国民とすれば非常に情けない話しであるが、菅首相の“退陣表明”なるものも国民に対する錯誤詐欺のようなものである。菅氏の言葉には、常に二重の意味(ダブル・ミーニング)が付き纏う。菅氏は6月2日の内閣不信任案、採決の直前に開かれた民主党の代議士会で「一定のメドがついた段階で、若い世代へ引き継ぎを果たす」と表明した。確かにご当人が言う通り、“辞める”とは一言も言っていない。しかしそのタイミングでそういう内容の表明をすれば、善意の人間は特に政治家以外の国民は、総理が辞任するための引き継ぎ段階に政局が移行したと考えるのは当然である。まさか間もなく辞める人間が、引き継ぎの過程で“脱原発”などの日本の根幹に関わる重要政策を打ち出してくるなどとは誰も思わない。菅氏に言わせれば、“辞める”とは言っていないのだから矛盾はないということになるのだろうか。勝手に辞めると解釈した、要するに騙された国民が馬鹿だと言いたいのかも知れない。鳩山由紀夫氏などは未だに菅氏から「6月2日の約束は忘れていない。」などと言われて安心したり、感激したりしているようだから日本で一番の善意の人である。しかし私に言わせれば、菅氏がどういうつもりで言ったのか、には何の意味もない。どのように国民全体に受け取られた表明であったかという一点に尽きるのである。政治家の言葉とはそういうものではないのか。仮にも総理大臣であろう。
字義的にあるいは文脈的にダブル・ミーニングを駆使して、自分には権力があるから国民がどのように受け取っていようが無視してもかまわないと考えるならば、民主政治は成り立たないのである。それは暗黒の独裁政治に通じる横暴な振る舞いであり、国民はまったく政治から排除されていると言える。政治家は全ての国民に対して、わかりやすい言葉で錯誤や錯覚のないように説明するように努めるのは当然ではないか。そんな基本的なことすらわきまえられない人間には、首相どころか政治家として、いや一社会人として失格である。
何で私のような一介の国民がこのような注進に及ばなければならないのか、本当に情けない。ともかく、どのような言葉で言い繕うと人の中身は変わるものではない。今やダブル・ミーニングが、ゼロ・ミーニングとなって、大義なき権力が決定的に日本を破壊しようとしている。菅氏を辞めさせることが出来るかどうかは、日本という国家の民主政治と品位を守るための戦いでもある。