龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

最悪の一日 1/4

最悪の一日は特別な予兆もなく、ふとした出来事から始まる。ここに一つの短い私小説を皆様にお伝えすることにする。但し大して面白くないことは先に言っておく。
先日の夕刻、私は一人で自宅から一駅離れた場所にあるお好み焼き屋で食事をしていた。最初にお好み焼きのミックスと生中を注文したが足りないので、焼きうどんとトマト酎ハイを追加した。食べ終えて、さて会計にしようとレシートを持ってレジに向かう。3000円あれば足りるだろうと見当をつけて財布から札を取り出しかけていると、店主の奥さんと思しき人が、「1470円です。」と言う。因みにお好み焼きが900円で、焼きうどんが650円である。それだけでも1550円だから明らかに間違っている。一瞬、私は「間違ってるで。」と正直に教えてやろうと思ったのだが、はっきり言ってさほど美味しくはなかったし、分量も少なかったので少々不満があった。焼きうどんなど、パク、パク、パク、パク、パク、とそう5口ほどで平らげてしまえる量であった。それなのに、どういう訳かその店はやたらと流行っているようなのだ。満席の店内を5~6人の従業員が忙しそうに駈けずり回っていて、見るからに活気が充溢していた。それで何となく私はもういいや、と正直に親告するのが面倒くさくなってしまった。言われるままに1470円だけ支払って、気付かれない内にと逃げるようにその店を後にした。それがその日、私が犯した第一の罪である。
その後、私は近くの馴染みのバーに立ち寄った。馴染みと言ってもほぼ1年ぶりでしばらくご無沙汰していた。当初、客は私一人であったのでその店のオーナーマスターと久しぶりにゆっくりと会話をする。店内に東日本大震災の募金がいくら集まりましたとの結果報告の張り紙が張られているのを見つけた私は、先程のお好み焼き屋での勘定間違いの一件を話し、もう募金は締め切っていたようであるが私が得た不当利益の1000円を寄付として受け取ってもらうことにした。それで私のささやかな罪は贖われたと勝手に思っていたのだがそうでもなかった。そのバーには、バーが入っているビルの上階に住み込みで働いている若い男のバーテンダーAがいた。2階がバーで3階が住居スペースになっているビルで、オーナーがビルごと賃借しているのをAは家賃ただで3階に住まわせてもらっていた。どちらかと言うと私はその日、Aと久しぶりに話しがしたかったのである。それでその男Aが元気にしているのかとオーナーに聞いて見ると、何と今年の3月頃に結婚して部屋を出て行ったとのことである。5月には男の子も生まれたそうで、いわゆる“できちゃった婚”であったようだ。それだけではなくて、そのバーの近くにもう一軒、別のバーがあったのだが、その店の店主が心斎橋に新しくダイニングバーの店をオープンさせるとかでその店が空くことになったので、オーナー同士が交流があったことからAが後を継いでその店で独立してやっていくことになったらしい。久しぶりに来て見ると何だか急展開の様相で私は驚いた。不景気な世の中で、そうやって若者が頑張っている姿は大変に喜ばしく思ったのだが、よく聞いてみると目出度い話しだけでもなさそうだ。5月に子供が出来たばかりだというのに夫婦仲がうまくいっていないようで、Aの嫁さんは子供を連れてもう3ヶ月ほど前から三重県の実家に帰ったままだということであった。それで私はマスターから、先輩として(年上であるということだけでなく、離婚経験者の先輩として)Aに有益なアドバイスをしてやって欲しいと頼まれたのであった。そういう経緯で私はそのバーでカクテルを4杯飲んでから、Aが働いている店にAを説教するために向かったのであった。
ほぼ1年ぶりに見たAは結婚したせいか、どこかこざっぱりと垢抜けたような雰囲気に見えた。意外と元気そうで苦悩の影はほとんど感じられなかった。ここでAの人となりを簡単に紹介しておくことにする。Aは27歳で嫁さんは3歳年上の30歳ということであった。Aはどこかの教育大学か教育学部の出身で両親がともに教師であり、本人も教師になればよいものをバーテンダーになったという変り種である。Aも言っていたが、教師の仕事はわりとコネの力が大きく働くようで両親が共に教師であることは最強のコネであり、本人がその気になれば教員免許は持っているようなので両親が住む地元で勤め先を見つけることは難しくはないであろうということだ。世間的な常識で考えれば教師とバーテンダーでは、収入も安定性も社会的な地位も大きな差があるので勿体無いような気もするのだが、Aはバーテンダーの仕事が気に入っているようで一生懸命に頑張っている。そういう所が私には感心できるし、一目置いている理由である。先に話したAの雇い主であり師匠に当るオーナーマスターも奈良県の有名な進学高校を卒業しながら大学に進学せずにバー経営の道に進んだ変り種である。Aは性格的にも拗ねたところがなくて、育ちの良さが感じられる青年である。可愛らしさがあり年上の女性から好かれるタイプだ。1年ほど前に本人から聞いた話では、バーに来ていた女性客から高校受験を控えた娘さんの家庭教師を頼まれて、朝までバーの仕事をしてから続いて、そのバーのカウンターで眠らずに昼ごろまで勉強を見てやっていたこともあるようだ。それでその女子は何とか志望校に合格することができたとAも喜んでいた。そういう話しを聞くと、私は素直に偉いなと思ってしまうのである。その一方でAは音楽好きでもあり、仲間とバンドを組んで活動し青春を謳歌したりもしていたようで、私は今では若者のそういう話しを聞くと自分と比べるのではなく、自分の息子の将来を連想してしまって思わず応援したくなってしまうのだ。だからそういう気持ちがあったから、私は店に着いて一杯飲み、一息つくなりAに言ってやった。