龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

最悪の一日 2/4

「お前な、結婚して子供もできて、こうやって自分の店も持てて出世したのはええけどな、嫁さんが子供連れて実家に帰ってしまってるて、どういう事情か知らんけどな、金だけは毎月、きちんと振り込んどかなあかんぞ。自分に出せる範囲内の金額を、一定の日にきちんと振り込む。それだけしてたらええねん。それが全てや。それをしてる限り縁は切れへん。それをせんようになったら縁は切れる。世の中そういうもんや。愛情なんか言うたら、そんなもん、どうでもええねん。感情に振り回されたらあかん。何の言葉もいらん。きちんと金だけ振り込んどけ。それが男の誠意や。生活のへそや。へそ、ちゅう意味がわかるか。物事の根本であり、中心ということや。中心が崩れたら全ては瓦解するねん。わかるやろ。俺はな、お前の師匠が心配してアドバイスしてやってくれと頼まれたから、こうやって親身になって言うてんねやないか。わかっとんのか。」
と私は、キリスト教の宣教師が未開の原住民に布教する熱意で(そこまで言えば、かなり大げさだが)、懇々、切々と説教してやったのだが、何を考えているのやらAは、へらへらと笑っているばかりで今一反応が薄い。この調子では恐らく、嫁さんが実家に帰っていることをいいことにして金をまったく渡していないのであろう。だから駄目なのだと思っていると、肝心のAからは反応がないのだが、思わぬところから反応があった。20歳代の女性客が二人連れで飲みにきていたのだが、私のことを見兼ねて気の毒に思ったのだろうか、向こうから何やら話しかけてきたのだ。それで私は最初のお好み焼き屋から3軒目でかなり酔ってもいたので、もうAのことなどどうでもよくなってきて、その女性客二人の横に座って一緒に飲むこととなった。そのあたりから私はだんだんと深酔いしだしてきて、何を話していたのやらほとんど覚えていないのだが、覚えているのはその女性二人の内、片方は性格が大人しそうなタイプの子で、もう一人がかなり性格の強そうな子であったのだが、どういう訳か大人しそうなタイプの子が途中一人で先に帰ってしまったのだ。別に気分を害したわけでもなさそうだ。笑顔でバイバイと手を振って帰って行ったことは覚えている。それで私は気の強そうな方の女性と二人で話しをしながら飲むことになった。それから、いかほどの時間が経った頃だろうか、気が付けば私は横に座っている女性の腰に手を回してお尻を触っていた。実は私は女性の尻が好きなのである。女性の尻からは思わず“豊穣”という言葉を連想してしまう。立派な作物を実らせる肥えた大地のような一つの確たる現実、そういう性的な意味を超えて尚且つ性的であり続けるかの複合的な造形美を私は若い女性の尻から感じ取ってしまう。女性の尻に触れることは豊穣そのものに触れることであり、エロスの本性とはその豊饒性にこそあるのだと思われる。と、下らない能書きは良いのだが、私はとにかくその女性の尻をさすっていた。特にその女性は拒絶の意思を示していなかった。繰り返すが私は気の強い方の女性を触っていたのである。それは3人で会話をしていた時に、大人しい方の女性が「この人、めっちゃ気が強いで。」ともう一人の女性のことを私に言っていたし、言われた当人もそれを否定する素振りがまったくなかったことと、確かに気が強そうな、しっかりした顔付をしていることからもそれは明らかであった。よって私に身体に触れられているのが不快なら、はっきりと「やめて。」と言ったり、私の手をぴしゃりと叩いたり、席を立ったり、店を出て行ったりするであろうが、そういうことはまったくなかった。その女性が唯一示した反応は優しく囁くような声で、「触ってる。」と言っただけであった。だから内心はともかく少なくとも表面的にはいやがっているように見えなかった。もちろん喜んでいるように見えなかったことも事実であるが。別にその女性とも店の誰とも何のトラブルにもなっていないので、こうやって弁明しなければならない必要性など何一つないのであるが、いやらしい話しで申し訳ないが、私はその女性の尻を酒の肴にして正体を失くすほどに飲んでしまったことに、いや正確に言えば、酔いながらいつの間にかそういう行為に及んでいた自分にかなりの自己嫌悪を後に感じたのである。もちろん女性の方から声を掛けてきてくれて会話をし、ある程度仲良くなってから、一連のコミュニケーションの延長線上で腰に手を回していたのだから、誰かから痴漢行為だなどと非難される謂れはまったくない。しかし普通はメールアドレスを聞いたり口説いたりするような場面で、私はそういう発想になぜか全然思い至ることもなく、後に一体自分が何を話していたのかもまったく思い出せない状態で、ただ尻を触っていたという事実に愕然とするのである。私はまだ十分に若いつもりでいたのに、老化の兆しのようなものを感じてショックであった。名前も知らないゆきずりの女の尻をそっと触り続けたこと、それがその日私の犯したもう一つの罪であった。しかし後からよく考えればそれは老いに付属する“だらしなさ”ではないとの結論に達した。老いではないのだ。むしろ反対に、言うのも恥ずかしいが大人になったのである。お好み焼き屋での勘定間違いを黙っていた件もそうだが、青年に特有の潔癖感のような性質が消えてしまっている自分に気付いた。そう言えばその女性が私のことを大人だからどうのこうのと言っていたのを思い出す。私は48歳にもなっていつの間にか、やっと、ついに大人になっていたのである。そう考えれば本当に恥ずかしいことである。文化人類学的な見地から見ると潔癖感が残っている間は精神的にまだ子供であるということだろうか。とにかく私はその日、ひどい酔い方をした。なぜそうなってしまったのかは、自分でもわからない。もしかすればAの話しを聞いて、Aを説教している内に、無意識の内に過去の自分自身の離婚訴訟におけるトラウマが蘇ってきたのかも知れない。その時にはそういう自覚はまったくなかったが、今から考えればそう思えなくもない。そう考えれば恐ろしいことにその気の強そうな女性の顔が、元妻の顔に重なって見えてくるのだ。ああ人生は恐ろしい。それとも私は夢を見ていたのであろうか。その日、私はその女性と一緒に店を出たことは覚えている。“お触り代”という訳でもないが、私は財布に残っていた金の全部を出して女性二人分の勘定も出し、足りない分をその女性に出してもらったような微かな記憶がある。とにかく翌日、財布の中には1枚の札もなかった。その女性は店を出た途端、これ以上私と一緒にいるのが危険だと感じたのか、酔っ払っている私に呆れたのか(多分後者だと思うが)、何も言わないでそそくさと帰って行った。あるいは私に何か言っていたような気もするが、その時点では私はひどく酔っていたので何も覚えていない。もし危険を感じていたのならそれは心配ご無用であった。情けないことではあるが、私には尻を触る以上のいかなる悪さをする元気などどこにも残っていなかったからだ。財布の中もからっぽである。最低だ。何ができるものか。