龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

出来レースのTPP

松下政経塾とやらは、一体何を教えているのか知らないがろくな人間がいないな。何が、「最終的には私が政治判断をする」だ。偉そうなことを言うな。そういう一丁前なセリフは自律的な自主判断で、イエスにもノーにも自在に答えを変更し得る能力と覚悟がある人間だけが厳かに口にすべきである。野田首相の頭の中には最初からTPP交渉参加イエスアメリカの要請には喜んで追随します、オバマ大統領の顔をつぶすようなことだけは決していたしません、の筋書き以外存在しようがなかったではないか。後は全て周りに大騒ぎさせておいて自分を大きく見せるだけの演出であり、茶番である。それとも松下政経塾はそういう政治の三文芝居を教えているところなのか。
TPP交渉参加についての賛否を概観すれば、反対派の多くがその理由について具体的かつ明確に理由を述べているのに、推進派は、早期に参加しないと条件交渉に乗り遅れるとか、世界に取り残されるとか、将来的な見通しはよくわからないがとにかく交渉に参加しない手はない、などの漠然とした不安感や対米関係悪化を恐れる消極的な感情に根差したものばかりで国益のイメージを具体的に開陳する意見は野田首相を初めとしてまったくない。しかし歴史の経験則から予測すれば、不安や恐怖にそそのかされて駆り立てられた行動は大抵の場合、前途に失敗や後悔しか待ち受けていないものである。反対に成功は明瞭かつ具体的なイメージ像から生まれるものである。アメリカはTPPに関して恐らく成功のイメージを持っているのであろう。だからこそ主導権を握って積極的に取り仕切っているのである。対して日本は国民の多くが、また与野党議員の半数以上までもが、TPPに関してこれほどまでに強固に否定的なイメージを有しているのに、具体的な交渉戦術や勝算が皆無の野田首相が独断で踏み切って、将来的に日本が本当に取り返しのつかない状態に追い込まれた時にどうやって責任を取るというのだ。無能な権力者が見通しの立たない状態で、日本全体を壊滅的な危機に晒すことほど罪深い過ちはないはずである。TPPとは日本という国を木端微塵に砕けさせる危険性を秘めた核弾頭のような協定である。いわばTPP交渉に参加することは戦前の日本がアメリカを相手に勝ち目のない太平洋戦争に突入したのと同じ愚行であるとも言えよう。もちろん経済協定と戦争では根本的に性質は異なるが、大本営たる政府が場当たり的な判断で国民の命と生活を犠牲にすることを厭わない点においては何ら違いはない。
アメリカもまた本音のところでは日本に交渉参加されることに不安を感じている部分はあるようだ。アメリカは日本がTPPに加盟しないことを容認しない姿勢は持っていないと思われる。最終的に日本が参加しなくてもTPPの意義もアメリカの地位もまったく揺らぐことはない。またアメリカの対日政策から見てもTPPだけが取り立てて重要性が高いとも思えない。ところが日本の悪い習慣でアメリカの意向を忖度し過ぎるのである。アメリカの立場に立てばTPPが対象とする全分野における完全自由化の決意と覚悟を持って交渉に臨んでくれなければ困るのである。日本がぐずぐずと医療保険や特定農産物の例外認定を持ち出して交渉したいのであれば、またそうする必要性があると思うのなら、韓国のようにTPPの不参加を表明し、二国間の日米FTAで交渉し締結すればよい話しではないのか。アメリカの顔も立てて、日本国内の声も出来るだけ取り入れて和洋折衷の玉虫色に輝く交渉の成果で総理大臣としての保身を計る。そういう態度が日本国内にとってもアメリカにとっても本当は一番迷惑なのである。そういうことが大根役者にはわからないのだ。
今回のTPP騒動は明らかに出来レースである。野党はともかく民主党内の反対派議員が果たしてどこまで本気で阻止しようと考えていたかというとかなり疑問である。ここまで抵抗したのだから最終的には国民も受け入れてくれるであろう、そしてよくやったと褒めてくれるであろうという甘えが見える。彼らは政治とは国民を騙す茶番劇だとしか考えていない。お互いに決着点を共有した上で儀式のようなパフォーマンスを演じているだけだ。マスコミもまた同じ舞台の上に立っている。一貫して反対派と呼ばずに慎重派と言った。慎重という言葉は反対ではないという意味である。よって全ての議員がTPPに反対ではないのだから意見の対立はあってもいずれは参加の方向で収束してゆく議論であるというイメージをマスコミは国民に刷り込み続けたのだ。こういう言葉の選択一つが誘導であり洗脳なのだ。今後のためにも皆様方にもよく覚えておいていただきたい。