龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

単なる馬鹿

民主党が政権獲得する前の公約の一つに、“対等な日米関係”という項目があったはずだ。首相が変れば、公約など忘れてもかまわないという内密の党則が民主党には存在するのだろうか。確かに2009年の総選挙の時点で民主党が問題視していた自民党政権下の日米関係は、到底対等とは言えるものでなかったが、親会社の社長と子会社の課長位の関係性は保たれていたように思える。つまり対等ではないが、憚りながらもモノ申せる上下関係であったということだ。それが民主党政権になってわずか2年余りで戦国時代の大名と家臣のような関係性に貶められてしまった。こうなればもう何かしら意見しようものなら即、打ち首だ。前回、私はTPP交渉参加表明がAPECでのオバマ大統領に対する野田首相の手土産だと述べたが、日本の国体そのものを贈呈するかの振る舞いだ。“売国”ではなく“贈国”である。次に捧げるものは、国民の命そのものにもなりかねない。よくも、これほどに当初の公約内容と正反対の政治に突き進めるものだ。本当に冗談のような、お笑いコントのごとき無能政党である。
我々国民は今、この日本存亡の危機にいかにして立ち向かうべきであろうか。現実的には為す術もないのであるが、先ず政治やマスコミに騙されない認識力、判断能力を万人が養っていかなければならないことが急務である。マスコミの構造改革も必要であるが、政治家のごまかし言葉に対して厳しく批判する必要性があると私は考える。一例を挙げて説明したい。野田首相はTPP交渉参加表明の席上で、記者からTPP途中離脱の可能性について問われて、“交渉の中で国益にならないと判断される場合の離脱は一般論としては有り得る”、という意味合いの発言をした。これを文字通りに受け取ると騙されることになる。“一般論としては”という言い回しであるが、他人事のような一般論など何の意味もないではないか。野田首相ご自身が今、まさにAPECに向かわんとしていた時である。自分がどうしようと考えているか、その意気込みが全てではないのか。日本の国益にならない条件を強要された時には断固として受け入れない、その時には私は離脱するつもりである、と明言するのであればわかる。それが国の代表者としての本来の態度であろう。しかし、あたかも美術館で絵を鑑賞して感想を述べるがごときの当事者意識から遊離した発言を噛み砕いて翻訳すると、“一般論としては離脱の可能性もあると言うべきだが、現実的にはアメリカに要求された条件は全て受け入れざるを得ないことになるのでしょう。”と言っているのと同じである。政治家の言葉とはそういうものなのだ。額面と本音は離反しており、全ては予防線のための修辞法である。つまり交渉参加表明をした時点で無条件降伏しているのと同義なのだ。この深刻な事態が皮膚感覚として国民にどこまで伝わっているのかという問題がある。もう一点例を挙げれば、政治家の言葉ではないが、TPP推進派識者が口を揃えて唱えるところの、TPPについての説明不足が国民の不安と反対の原因であって、政府がきちんとTPPについて説明していないから、TPP加盟の利点について多くの国民が理解できずに反対しているのだという主張である。これなども大衆誘導的かつ大衆侮蔑的な鼻に付く発言である。大衆は押しなべて馬鹿だから、政府がきちんと責任を持って教え導いてやらなければならないという趣旨の言い草である。しかしその主張は根本的に間違っている。説明するも何も野田首相を初め、民主党の誰もTPP加盟がどの程度の規模と深度で日本に影響を及ぼすかについて現時点で具体的に何もわかっていないしイメージも持っていない。説明する材料など皆無である。そこにあるには危機感の欠落だけだ。だから野田首相がお経を唱えるが如く、“アジアの成長を取り込む必要がある”、やら、“国を開かなければならない”、やら“国際化と自由化の流れに乗り遅れるわけにはいかない”程度の説明をすることしか出来なくて当然である。それ以上に、馬鹿な大衆ではない知識人だけが知悉しているTPP加盟の日本にとっての総体的なメリットなどどこにもないのだ。無いものを有るように錯覚させて、誘導しようとなすことは詐欺と同質である。テレビに出ている卑しい言論人はこういうごまかしを平気でする。きちんとした持論があるというなら、政府ではなく先ず自分が説明しろよ。確として具体的、詳細に説明し得る利点などどこにもなく、政府の説明不足やら何やら適当に言い訳しながら推し進めようとする協定など太平洋戦争に突入した戦前の日本と同じで、漠とした雰囲気を操っているだけではないのか。こういうことに日本国民はもっと怒りを表明するべきだ。日本の権力と大衆誘導の図式は70年前から何一つ変っていない。ただ一つ変った点は無条件にアメリカの意向に従うという政治姿勢だけだ。これを民主主義的な進歩と呼ぶ知識人は単なる馬鹿である。