龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

猿芝居の顛末

APECに出発する前日に、野田首相がTPPに不参加あるいは留保の意思表示をするだけの勇気を示せる器量の人物でないことは明らかなので、まあ当然と言うべきか予想された結末ではある。APEC開催地がオバマ大統領の出身地であるハワイであれば尚更のことであろう。野田首相にとって直接オバマ大統領にTPP交渉参加を伝えることは、云わば手土産のようなものである。日本では誰かの家に招待された時に、何かしら手土産を持っていく慣習がある。野田首相にとっては、TPP交渉参加をオバマ大統領に直接伝えて笑顔で迎えられることだけが至上課題であり、手土産もなしにAPECに出席することなど想像だに出来なかったことであろう。しかし、それだけのことである。日本の国益やら成長戦略とかは、あってなきが如しだ。こう言うと身も蓋もない非難のように思われて嫌煙する人もいるであろうが、日本の政治の現実とはこの程度のものであり、国益や戦略以前の問題なのだ。実際に野田首相は会見で「アジアの成長を取り込むことが重要」などと言っていたが、中国や韓国が参加しないTPPのどこに取り込むアジアの市場があると言うのだ。
今回のTPP騒動で野田首相の正体が個人的にはよく見えてきたように思える。一口で言うと野田首相とは“何もわかっていない”人物である。前菅首相の時に財務相であった野田氏の講演会に、税理士会か何かの関連だと思われるが、私が仕事上で依頼している女性税理士が話しを聞きに行ったのだが、その時の感想が「あの人は経済のこととか、税のこととかよくわかっていないような気がする。」というものであった。その時は何気なく聞いていただけであったが、今になってよくわかってきた。総理大臣といえば、一般的には、高度な知識や分析能力を備えているように考える人が多いかもしれないが、実際にはそうでもないのである。日本の総理大臣は馬鹿でも務まる、と言えば言い過ぎかも知れないが、実際にはそれに近いものがあるように思える。これまでの野田首相の政治手法を称して、“安全運転”という声があったが、正確に言えば安全運転なのではなく運転技術が初心者並みに低いのだ。今までは一般道路をとろとろと走らせる政治局面での走行であったから能力(見識)の低さが安全運転に見えていただけのことである。それがTPPの問題になって、いきなり高速道路を走行させることになった。そのように考えれば分かりやすい。野田首相は初めて政治の高速道路を走って急に怖くなり、走行中に理由もなく急ブレーキをかけた。TPP交渉の参加表明を一日延期した事態は高速道路での走行中に無意味に急ブレーキをかける行為と同じである。低速の安全走行が許されない環境に置かれて初めて猛スピードの世論の中で、TPPに参加することの重大性と危険性を身に沁みて理解したのだと思われる。高速道路で急ブレーキを掛ければ当然、後続の車にクラクションを鳴らされる。それでまた慌ててアクセルを踏み込む。TPP騒動に対する野田総理の一連の対応はそのようなものであった。恐らくこれからもブレーキランプを点灯させたり、アクセルを踏み込んで急加速したりの、いかにも燃費効率の悪い奇妙な政治運転が続くのであろう。事故を起こさないために慎重なのは悪いとは言えないが、そういう運転能力では、はっきり言って高速道路を走行する、つまりそもそも総理大臣として外交の舞台に立つ資格がないのだ。高速道路の快適な走行はアメリカに対して日本の立場をきちんと発言し得る能力であるとも言える。そういう能力がないのならTPP交渉などに参加せず地道に一般道を走っていればよいだけである。マスコミは自分たちの業界利益につながる野田政治を懸命に盛り立てようとするが、実態は地味な辻立ち演説を長年続けてきた、いかにも誠実そうな顔つきと風体があるだけで信念や見識、要するに中身は何もないのであろう。辛辣ではあるが中身のなさを演説の上手さでごまかしてきただけだ。野田首相が運転する車に乗せられているのは我々、国民だ。いかに慎重であろうと下手は下手だ。ぶつけないように気をつけるのが精一杯でカーチェイスなど演じられる訳がない。また高速道路で妙に慎重運転されるのも反対に危険なだけで何の益もない。ともかく一刻も早く運転手を代えてくれ。アイルトン・セナとまでは言わないが、中島悟並みのドライバーはいないのか。
それから私が睨んだ通りであったが、山田正彦元農産相の離党をちらつかせた反乱劇は出来レースの猿芝居であった可能性が高い。野田首相の会見内容について「交渉参加表明ではなく、事前協議にとどまった」などと成果をアピールしていたようだが、民主党執行部のTPP推進派と恐らく以心伝心で通じていたのであろう。こういう玉虫色とまでも言えないような言葉のごまかしで落としどころを想定していたのだと思われる。国民を馬鹿にするのもいい加減にしていただきたいものだ。こういう茶番政党、茶番議員を排除していかなければ日本の政治は絶対に変わり得ない。