龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

打倒現状維持

地方選挙とは言え、民主党自民党が連携しているだけでも異常なのに、そこに共産党までもが加わって大阪維新の会を倒せなかった。いい気味だとは言わないが、今回の大阪市長大阪府知事選挙の結果から見えてくる日本の民主主義の問題と課題がある。一言で言うと、“独裁”とは、何なのかということだ。平松邦夫氏陣営は、打倒独裁を合言葉とした。「大阪はええ街やのに、独裁者がむちゃくちゃに分解しようとしている。そんな独裁を許すわけにはいかない。」独裁と言えば悪になり、打倒独裁と言えば善になる。そんな単純なストーリーを有権者が支持してくれるかどうかを問いかける選挙であったと思われるが、はっきり言って平松氏は感覚が古過ぎるし、本人にその気はなくとも結果的には大阪市民を馬鹿にしていただけだと思われる。平松氏だけの問題ではなく、民主主義の基本性質が打倒独裁だけを自己目的化してしまう弊害から脱却することが、すなわち日本政治の課題なのだと思われる。誰かをフセインとか、カダフィーに見立ててそれら独裁者に果敢に立ち向かい、打ち倒して民主主義の勝利だと叫ぶ図式の原型はアメリカの勧善懲悪である。人殺しも戦争も厭わないような本物の独裁者を倒すことには誰にも異論はなかろうが、民主主義の手続きの中で強引に政策を推し進めようとする政治家を独裁だと批判することはゆきつくところは民主政治の否定であり、結局は茶番の構造なのだ。そんな単純な理屈を理解できない平松氏の感性が敗れたのである。大阪市政令指定都市として、大阪府並みの権限と予算を維持したいのであれば打倒独裁などと言わずに、それなりの成長戦略を具体的に示さなければならなかった。その戦略に説得力があれば、たとえ二重行政が温存されても有権者大阪市を特権都市として残そうと考えるであろう。「大阪はええ街や。」などと言われても、それは平松氏がそう思っているだけのことであり、生活実感としてそうは思っていない市民の方がはるかに多いのである。そういう人々の目線に立脚せずに、ええ街を壊すなと言われても、既得権益層の代表者が駄々を捏ねているようにしか見えないのだ。大阪人の情緒に訴えた時点で平松氏の敗北は確定していた。本当は“上から目線”は平松氏の方だったのであり、大半の大阪人はそういう本質を見抜いていたのだ。政治家であればきちんとした理論と政策で勝負すべきであったが、平松氏はそういう着眼以前の人物であったということであろう。由々しきことは、そういう現状維持だけの政治家に対して国政政党がこぞって支持に回ったことである。民主党などは政権獲得前には地方分権の必要性を声高に主張していたのではなかったのか。昨日の橋下徹氏と松井一郎氏の当確を伝えるNHKニュースの報道番組は、どことなくお通夜のような打ち沈んだ気配が感じられた。民放でもキャスターは苦虫を噛み潰したような顔で大阪維新の会の勝利を報じていた。要するにそういうことなのだ。日本の現状維持という名の暗雲はあまりにも深く立ち込め、一筋の光りでは未だ先は見えない。