龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

大阪維新の会に対してモノ申す

橋下新大阪市長が選挙に強いのは、公約したことをきちんと民意を問いながら実現に向けて突き進む姿勢があるからで当然だとおもわれるが、私は橋下氏の政治手法に全面的に賛成というわけではない。元々、橋下氏は競争原理至上主義者なのだと思われる。良い暮らしや、職を手に入れるために市民は、厳しい競争を勝ち抜かなければならないと考えているのであれば、首長の思考とすれば多少偏っていると思われる。確かに最低限の競争は必要であろうが、資本主義の世の中であっても競争が全てを成り立たしめる基本というわけではないであろう。大切なことは健全で公正な競争が成り立つ社会環境なのだと思われる。また競争には基本的な体力がいる。重病人が全速力で走らされて死人が続出するような社会にならないように注意することが、首長の責任である。
これは大阪維新の会が推し進める公務員制度改革についても言えることだ。私は公務員に競争原理は馴染まないと思う。市民の立場から考えても、大切なことは公務員の均質で良質なサービス(奉仕)である。役所での窓口業務一つとっても競争原理の弊害で、地域や担当者によって説明の仕方やわかりやすさが異なるようでは全体として生産性が上がるとは思えない。但し、公務員に厳格な能力主義は適用されるべきだと思う。橋下氏は競争原理と能力主義を混同しているように感じられるが、似て非なるものではないのか。競争原理とは負けた者を排除する仕組みである。必ずしも能力があって真面目で勤勉な者が勝つとは限らないのが世の常である。組織の論理は人間関係で決定される部分が大きいからだ。公務員が同僚の足を引っ張り合うような職場環境は問題が大きいと思われる。能力主義は、競争ではなく純粋に個人の能力を重用することであり、それは行政コストの削減につながるとも考えられる。職能性とも関係するのであろうが、簡単にわかりやすく言えば、誰にでも出来るような単純な仕事は全て民間に委託すればよいのである。学校給食の調理とか家庭ゴミの回収などは、それらの仕事に従事している人には怒られるかも知れないがはっきり言って特殊な能力を要するものではない。それらの単純作業は民間に委託すればいくらでも安くコスト削減できるのだ。それを公務員という身分だけで年収700万円も800万円も支払うことはとてもじゃないが、今の時代に合っていない。その関連で見れば、学校の教員は誰にでも出来る仕事というわけではない。国歌、国旗に敬意を表したくないという、わがままな教員など論外であるが、それなりのスキルが要求される仕事なのだから、競争原理の適用で下から何割かを排除ということは教育の有り方として私はそぐわないと思う。どちらかと言えば免職ではなくて、全体の給与ベースを引き下げて、やる気があり有能な教員をスペシャリストとしてどんどん引き立て、厚遇するシステムの方が教育現場の活性化につながるのではないのか。またもう一つ付け加えれば、学校内での“いじめを防ぐ観点”から是非、教職員の評価制度を確立させていただきたい。いじめによる子供の自殺という悲惨な報道が跡を絶えない。どうもいじめの問題に関しては、学校及び教員はいつまでたっても見て見ぬ振りというか、及び腰である。言うまでもないことであるが、子供の命を守るという姿勢が何よりも重要なのである。ところがそういう肝心の点で、処罰とか評価の仕組みが整っていないから、現場は改善されないのであろう。大阪維新の会には、是非子供のいじめによる自殺を絶対に発生させないと言う“強い決意”を持って今後の改革に取り組んでいただきたい。