龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

子供の命を守る社会の在り方

しかしこれだけ子供たちへの登下校の列に車が突っ込む死亡事故が繰り返されると、このような子供の死が不可避の社会学的必然とでもいうか、コストにでもなっているのではないかと言いたくなる。日本は狭い国土の中に多数の車の通行量があって毎朝、登校の列は一定の割合で全国の歩道面積の一部を占めるのであるから統計学的に見ても、年間に1件や2件のこのような死亡事故は止むを得ないということになるのか。しかしきっちりと検証しなければならないことがあるはずだ。先ず、今回のケースのように道幅の狭い通学路で車の通行量の多い道路でもある場合、ガードレールを設置することは難しくても、登下校の時間帯は一般車両の進入を禁止することは出来るはずであるし、またそうすべきであろう。私が子供時分であった今から40年以上前の時代の方が、今よりも児童数が多かったせいもあるであろうが、そういう交通安全行政や規制がきちんと為されていたような気がする。今の時代は登下校の風景を見ていても、子供たちが集団で歩いている近くを割と当たり前のように車が走っているものである。児童と車の棲み分けが、ほとんど行われていないように思われる。今回のように子供の死亡事故が発生する度に、可哀そうだ、不憫だと大騒ぎする割にはすぐに忘れてしまって、政治も役所もやるべきことをやっていないのだ。本来であればその地域ごとに学校と所轄の警察署が緊密に連絡を取り合って、最も安全な通学路の選定と、一般車両の登下校時間帯における進入規制について打ち合わせをすべきなのである。私が想像するに恐らくはそういうことが何一つとしてなされていないのであろう。ここにあるのは行政の質の劣化、職務怠慢以外の何物でもない。子供たちの命を守るための日頃の地道な努力が行われていないのであれば、社会学的考察も統計学的推論も無意味であるとしか言えない。結局何だかんだと言いながらも、私の目には世の中全体が、いい加減になってきているし、政治や公務員の仕事もショートカットの仕事ぶりというのか、分かりやすく言えば誰もが楽をすることしか考えていないのである。だから警察の強引な取り調べによる冤罪や、教員によるわいせつ事件、いじめによる子供の自殺なども増えていく一方なのではないのか。そのくせ尚一層に、教職員の負担を軽減させなければならないとか、そんなことばかりが喧伝されている始末である。今や公務員は民間に比べて、ものすごくいい給料をしっかりと取っているのであるから、もっと子供たちの命や心を守るといったレベルの地道でしっかりした仕事に取り組む意識を持つべきである。ただ何度も言う通りに、こういうことは大元を糺せば、全ては政治が悪いのである。政治が腐っているから、公務員の仕事も行政全体の質も、政治と同じように見せ掛けだけで内実的には楽をする方向に傾いたり、或いは楽をしていなくとも力や注意の入れ所が間違っていることになっているのだ。そしてその政治の堕落の元で、貴重な子供たちの生命が犠牲になっているのではないのか。