龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

報道規制に見捨てられた命

どうもこの韓国での邦人女子大生失踪の事件に関しては、報道規制が掛かっているように思われるのだが、人一人の命よりも大切な保護の基準があるのだとすればそれが何なのかお答えいただきたい。誘拐事件で被害者の人命を守るために報道規制をするのと状況はまったく逆である。今こそ、報道の役割と真価が問われるべき時に、どうして誰も彼もが我関せずとばかりに押し黙ってしまうのか。改めて不審点を列挙し、整理することにする。韓国警察は11月中旬に日本の女子大生の両親の元に動画が送られてきたことから、その時点で女子大生は生存し、尚且つ拉致ではなく家出であると判断して捜査を打ち切った。仮に本当に何らかの動画が両親の元に送られていたのだとすれば、その本来の趣旨は、女子大生が両親を安心させるためである。これが日本国内の家出で、事件や捜査になっていないのであれば動画を送るという方法も有り得るだろう。しかし異国の地で、タクシーとのトラブルになったことから考えるに恐らくは韓国語も喋れずに、親名義のクレジットカードを持ち歩き、観光ビザの滞在日数制限がある状況で韓国で家出を続けること自体が極めて不自然であるのに、もし女子大生がどうしても日本に帰りたくない事情があるのであれば、捜査になっていた事の重大性を考えても国際電話で自分が生きていることと、その時点の状況を手っ取り早く伝えることが一般的である。女子大生が、動画という手段を取らなければならない必然性というか必要性があるだろうか。動画であれば手間が掛かる上に、いつの時点のものかはっきりしないから、両親を安心させるという目的とは明らかに矛盾している。いずれにせよ、その動画を見たとされる日本領事館の公式な見解や、両親の率直な感想が報道されていないことが何よりも疑わしい。韓国警察サイドが「Aさん(女子大生)の親と日本領事館側もAさんは拉致されていないと認識しているようだ」と言及しているだけで、肝心の日本領事館や女子大生両親のコメントが報道規制のように伏せられていることが事の真相を端的に物語っているように感じられる。仮にそうではないと言うのであれば、その動画を一般公開した上で外務省と女子大生両親がきちんと責任を持って発言するべきではないのか。私だけではなく、女子大生の安否を心配している人間は日本には多く存在するものと思われる。そういう人々の気持ちに答える責任はないと言えるのか。
もし韓国側の、あるいは韓国の意向に配慮した日本外務省の圧力で女子大生両親が一切の発言が許されていない状況にあるのであれば、きちんとした弁護士を立てて国連に人権救済の申し立てをしていただきたい、と個人的には考えるものである。人命に関わることを有耶無耶にしていれば、この先、怪しげな韓流ブームの中で今回のようなケースが何度も繰り返されることになるであろう。民主党は先の前菅首相金科玉条の如く何度も述べていた通り、“大局的見地”からどうのこうのと、国民の生命や財産を犠牲にしてまでも外交に配慮する政治体質であることは明らかであるから、この問題に関しても野田政権内部から、もみ消しの指示が出ている可能性が高いのではないかと考えられるものである。日本とは一体、どういう国なのであろうか。マスコミの政治権力からの独立とは聞いて呆れる。マスコミまでもが、ちゃらちゃらした馬鹿女の一人や二人ぐらいどうなっても構わない、マスコミ界の金儲けの邪魔だけはしないでくれと内心、考えているのであれば、とてもじゃないが政治家の不正追及や事の善悪を論ずる資格など皆無であることをここにはっきりと述べておく。女子大生が二度目に韓国に入った日が9月26日なので、観光ビザの滞在期限が切れる90日目が、奇しくもクリスマス・イブの12月24日である。今日から8日後である。それ以降は不法滞在となる境目の日である。神も祈りもなきクリスマス・イブに無意味に浮かれるのであれば、政治に見捨てられた一人の女性の命を救うべく、国民は良心の元に声を発するべきである。