龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

新年の悪魔論

明けまして、おめでとうございます。年末より悪魔論について語りながら、おめでとうございます、というのも何か変だが、それが日本の実情であるのだから仕方ない。仕方ないというよりも、諦めの境地ではなくより積極的な気持ちで、それが社会構造的な幻影であれ、超自然的な本物の悪魔であれ、目を背けず真正面から魔と向き合うということ、そのような覚悟が今日の非常に厳しい世の中を生き抜いてゆく上で必要不可欠な心がけだと私は年初に当って、考える次第である。悪魔に向かって「悪魔よ立ち去れ」と叫んでも、そう簡単に消え去ってくれるものではない。悪魔とは古来より見透かされ、その組成や正体、策略などを指摘されたり暴露されると、たちまち居心地が悪くなったように雲散霧消するものである。日本は今、黒々とした悪魔的な濃霧に覆われている状態にある。将来の見通しがまったく利かない不安な闇空間の中に置かれている。悪魔に滅ばされないためには、悪魔を直視して悪魔の悪魔足る所以を正しく理解し、単に悪魔に対峙するだけではなく、その悪魔的なエッセンスを自らの人生において消化し栄養分となすぐらいの強い気持ちで臨まなければ、結局我々は流されるように悪魔の餌食となってしまうことであろう。要するに、これは食うか食われるかの戦いなのである。油断した時点で負けなのだ。生きることは目に見えない悪魔との戦いだ。私が悪魔を論じるのはそういう趣旨があることをご理解いただきたい。
半ば思いつきで述べているので、何から話してよいのかわからないが、人生において誰でも神から見放されたように、そして悪魔に取り付かれたように思える苦境の時はある。そういう時は人は得てして、近視眼的に視野が狭くなって自分のことしか考えられなくなってしまうものである。しかし自分のことだけを考えていると、反対にその状態から抜け出せなくなってしまう。なぜなら不幸や苦しみとは本来、自分だけの問題ではないからだ。この世の不幸や苦しみは全て社会的なものである。見かけは自分だけのもののように見えても、本当は共有されているのである。そして、その社会の背後に悪魔が鎮座しているとも言える。しかし支配者層は、決してその悪魔の姿を見せようとはしない。そして苦しむ人々が自分のことだけに捉われて物質的な生存競争に明け暮れる仕組みが、悪魔を隠蔽する社会操作に相当していると言える。しかし人が苦しみの中で自分のことだけでなく、自分を離れて誰か他者の苦しみをも自分のことのように考えられるようになった時に自然に社会構造上の問題が、そしてその背後の悪魔の姿が手に取るように見えてくるものである。そうすると雪山で人間に姿を見られたイエティーが慌てて山奥に逃げていくように、人生の悪魔も離れてゆくことであろう。だから悪魔を直視することは自分を離れて、他者を思いやる心を持つことであるとも言えよう。最近読んだ本で印象に残ったものに、歴史学者阿部謹也氏の『「世間」とは何か』(講談社現代新書)がある。古代から、日本人の生き方を支配してきた世間という枠組みの正体を、古くは万葉集吉田兼好徒然草から親鸞真宗教団、江戸時代の井原西鶴が描く「色」と「金」の世の中、明治以降は夏目漱石永井荷風金子光晴らの生き方を通じて考察されたものであり、個人的には非常に興味深く感じられた。たとえば徒然草吉田兼好は世間を否定する、聖でも俗でもない“隠者”としての立場で述べられているのであるが、隠者とはタロットカードにも有る通り、西洋、東洋を問わず、世間と言うものに対置する個人の精神性のあり方として普遍的に存在するものだ、という感慨を私は強く持ったのである。隠者とは個人主義の生き方でもある。そしてその世間を否定する隠者的な精神性は、夏目漱石の小説である「我輩は猫である」や「坊ちゃん」などの作品や、そして永井荷風金子光晴の反骨的な生き方と創作にも見られたものであった。また私自身が、かなり隠者的な気質をどうしようもなく強く持っていることをこの本を読んで、再確認させられることとなった。恐らくは私のこの孤独的な性質は、生まれながらの宿命のようなもので、どの時代のどの国に生まれていても結局は世間に馴染めないような気がするのであるが、普遍的なものなら普遍的な存在意義があるとも見れる。世相の歪みを映す鏡としての隠者の存在価値というか、生かされる意味があるのかも知れない。隠者は世間一般とは異なった価値観を持っているがゆえに、その浮世離れした価値観が逆に世間を矯正することも時には有り得るのであろう。『「世間」とは何か』で、夏目漱石の小説『それから』の主人公、長井代助が、世の中にあたるセリフが引用されているのであるがそれが面白かったのでここに紹介させていただくことにする。主人公長井代助は、“大学を出ながら職につかず、父親からの仕送りで暮らしている高等遊民である。彼も「世間」に対して距離を取っており、自らその中に飛び込もうとはしない。” 代助には中学時代から大学まで一緒だった平岡という友人がいるのだが、この平岡が職もなしにぶらぶらしている代助に対して、「なぜ働かない」となじると、代助はこのように答えるのであった。
「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしている国はありやしない。」
現代の平成の日本にも、失業している人、真面目に働こうとしない人はたくさん存在するであろうが、親や妻や友人から「なぜ働かない」と責められて代助のような屁理屈を平然と言ってのけられる人間は果たしているであろうか。恐らくは一人もいないであろう。もちろん代助はフィクションの人物であるが、そういう小説が書かれたということは実際に代助のように、堂々と開き直れる人間が当時はいたということである。自分の不甲斐なさを身近な者に非難されて、世の中が悪いからだと責任転嫁するような男は、今の時代には誰からも軽蔑されて馬鹿にされるのは目に見えているから、言いたくとも言えない。しかし代助の言っていることも一面においては真理なのである。自分の不甲斐なさは棚に上げておいて、世の中が悪いと言い切ることは、それなりの精神的なエネルギーと自信がなければ絶対に不可能である。私の悪魔論との関連で言えば、代助は自分が悪いんじゃなくて、世の中が悪いと言い切ることによってその時代の悪魔ときちんと向き合うことが出来ているとも見れるのである。その後、代助は平岡の妻である三千代に愛を打ち明けて、三千代を平岡から奪ってしまうことになるのであるが、世間的な価値観の中で生きている限り仕事もない男が他人の、それも友人の妻を奪うなどということは考えも及ばないことであろう。明治の世にはそういう型に嵌まらない破天荒な活力が人々の間にあったのかも知れない。今の時代にそのような設定の小説が成り立つであろうか。確かに世の中が悪いなどと言っても、それで世の中が変るわけではないから無意味だとも言えよう。しかし無意味な正論を述べ続けなければ、世の中が変り得ないことも事実である。開き直ることも出来ずに、全て自分が悪いと認めさせられれば最終的には自殺するしかないことになる。日本の自殺率が高い理由はそういうことだと思われる。だから私は、『それから』の代助を見習って(と言っても私は働いているし、人妻を奪うつもりもないが)、平成のこの世の悪魔を直視しながら、自分(あなた)は悪くない、社会が、政治が、マスコミが悪いのだと生きている限り言い続けるつもりである。それが私にとっての社会貢献だ。別に私は悪魔に何のこだわりも興味もないのであるが、今の世相から思い浮かぶイメージと言えば悲しいかな悪魔なのである。阿部謹也氏は日本は明治の時代に、社会の構成単位としての個人の概念が確立されておらず曖昧な世間しかなかったのに、表面的に欧米からSOCIETYの訳語としての社会と言う言葉が作られることになったことから文章上だけで欧米流の社会があるかのような幻想が生まれたと述べている。それで我が国における社会の未成熟あるいは特異なあり方が覆い隠されることとなったということである。また我が国には人権という言葉はあるが、その実は言葉だけであって、個々人の真の意味の人権が守られているとは到底いえない状況であり、こうした状況も世間という枠の中で許容されてきたと述べている。なるほど日本に悪魔が蔓延る原因が垣間見えたような思いであった。阿部謹也氏の洞察には、学者としての良心と本物の知性が感じられた。阿部氏は既に2006年にご逝去されているが、日本という名の悪魔的な支配構造にきちんと立ち向かえる知識人は他にいないのだろうか。