龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

憲法改定こそが独立への第一歩

ということで国が本当の意味で独立出来ていなければ、国内の政治やメディアの報道、司法や警察権力などの全てが、あたかも日本という一個の国家が名実ともに独立しているかのように見せかける虚構構築へと内部統制され、国全体が調整されていくこととなる。韓国における日本人女子大生失踪の問題は、政府が人命に関わることにおいてすら平気で嘘をつき、既成の全体秩序の在り方を保持するために精密機器の如く、“正確”に作動することの象徴だと私には思われる。もちろん女子大生の問題については何度も繰り返す通り、単に私個人の推測というか憶測に過ぎないことだから、絶対的な確信の下で述べているものではない。但し、日に日に確信に近いものには成りつつあるが。仮に私の推測通りに女子大生が昨年のある時点で韓国で殺害されているのだとすれば、日本の外務省だけでなく、政府全体やマスコミ、そして兵庫県警までが“生きている”と信じ難いような嘘をついていることになる。日本の国益、日本人にとってプラスになることであれば時と場合により、嘘もあり得るかも知れないが(本当はそうであっても許されることではないが)、日本の国益に反すること、日本人生命の存否を無視するようなところでファシズムのように国全体が同調するのであれば、これはもう何と表現すべきか言葉も見つからないが、とにかく特定の何か(たとえばマスコミや民主党政権)を悪者にするだけで改善するような性質のものではあり得ない。国の在り方を根本的に変えるような変革を行わなければ、はっきり言って、どうにもこうにもならない所にまで堕ちてしまっている。今や日本は日本を滅亡に追い込んで行くようなシステムに完全に組み込まれてしまっていて、自縄自縛のように身動きできない状態なのだ。消費税増税やTPPなど皆、同じである。品のない喩えで大変申し訳ないが、うら若き美しい女性が全裸にされて、縄で縛られて床に放置されているとする。そしてその女性は、今まさに乱暴な男にレイプされようとしている。もちろん言うまでもないことだがレイプは重大な犯罪行為であり、法律的にも道義的にもどのような意味合いにおいても絶対的に許されることではあり得ない。しかしである。国家間の戦争や紛争、謀りごとはそう簡単に一個人の犯罪行為のように断じれるものではない。全ては“正義の名”のもとに推し進められるものである。嘘も隠ぺい工作も正義の旗の下に正義を彩るように植えられた艶やかな草花のようなものである。よってレイプという表現も一つの比喩であり、正義の観念の歪んだ変形であるとも言えよう。すなわち身ぐるみ剥がれ裸にされてレイプされる正義に逆らえないのであれば、それこそが自分の運命であり生きる道だと諦めれば、その女性は、自分を今まさにレイプしようとしている相手の男を本気で心の底から愛してしまうことだってあり得るということだ。本気で愛してしまえばもちろんレイプという男の罪も消滅するであろう。なぜなら女性がそう望んでいるのだから。愛した途端に身体を縛りつける縄はひとりでに解けるであろうが、その愛が本物かどうかは別の問題である。また愛の問題とは別にその女性は、強い男に庇護されて幸せになれるかも知れないと心に希望を抱くことになる。つまりその女性心理が日本という今の国家体制そのものなのである。喩えが喩えなので生理的に受け入れられない(特に女性には)であろうが、日本人の生命が軽視されたり、国民財産が諸外国から計画的に収奪される仕組みとは基本的にはそういうことなのだと私は考えるものである。
それでは日本が根本的に変革するには先ず何を為すべきかと言えば、憲法記日だからというわけではないが、憲法改定である。国家の真の独立とは、独立不羈の精神であり、その精神は憲法の条文の中からしか生きてこないのである。世の中にはアメリカからの独立の重要性を声高に何度も訴えながら、どう言う訳か憲法改定にはまったく触れない人もいる。終戦直後にGHQから押し付けられた憲法下にあり続けながら、アメリカから独立し得ると本気で考えているのだろうか。私には到底、理解できない感覚である。国の独立とは国内の政局によって果たせるものではない。所詮、政局とは何かを国民の目から誤魔化す程度の範囲内でしか動けないのである。もちろん誰が総理大臣になっても同じだ。憲法条文こそが日本精神の言霊なのだ。自主憲法提起なくして独立の二文字を口にする資格はない。また日本の独立とは単にアメリカの干渉を撥ねつけるというものだけではないはずだ。確かに日本にとってアメリカの存在感は突出して大きいから、アメリカこそ世界と言えなくもないが、アジアの近隣諸国に対しても健全な外交交渉が出来なければ独立国家とは当然言えないものである。韓国の国家ブランド戦略や通貨協定のために、殺人事件を隠ぺいするようなことに加担するのであれば前にも述べた通り、国としてはもう既に終わっている。独立云々以前の問題である。いまだに日本の知識人の多くが、親米反中か親中反米かという2項対立の冷戦構造的な意識から抜け出すことが出来ていない。これも戦後70年近くに及ぶ洗脳による宿痾というべきであろうか。しかしこのような意識構造が日本の本当の独立を阻んでいる原因であると私は言いたい。もちろん憲法改定をしたからといって、一朝一夕に日本の真の独立が果たせるものではあり得ないが、ローマは一日にして成らずとのことわざもある通り、とにかく出発点には立てることであろう。すなわち現在は、出発点にすら立てていないということだ。政治家の言動や資質を見ていれば、その点についてのこれ以上の説明は不要であろう。