龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

マスコミ的な暴走

どうでもいいことだが、タレントやら女子アナの熱愛発覚の報道は構わないとしても、一々記者会見を開いて「ご心配、お掛けして申し訳ありませんでした。」などと謝罪するようなことは、もうそろそろ止めにしてはどうなのか。そんなもん、誰も心配してないちゅうねん。親や親戚ならともかくとして。
一体、誰に向かって謝っているのか、勝手にすればいいではないか。無意味に謝るなよ。日本的な慣習によるものだから仕方ないと言えばそれまでだが、或いは、目くじらを立てるほどのことではないと思われる人も多いかも知れないが、あれはそういうことではないと思う。あれは、ファンや視聴者に向かって謝っているのではない。マスコミという集団に対して頭を下げているのだと思う。噛み砕いて分かり易く言い換えると、“いつもお世話になっております。この度は私如きのことで、お騒がせしましてすみませんでした。”とマスコミに詫びているのである。丁寧な態度だからいいではないか、何も問題ないではないかと考える人も多いであろうが、果たしてそうであろうか。私にはそうは思えない。本質的には面倒を見てもらっている子供が保護者に対して謝っているのと同じで、それはそれで一分の理はあるのであろうが、公式に記者会見などでファンや視聴者に向かって説明する形式を取りながら、実質的にはマスコミに気を使ってお詫びしているのだとすれば、いかにも変な話である。変ではあるが、それが日本の姿である。その証拠に何とかという男性俳優のように、韓流批判などマスコミの権益を損なうような発言をすると、途端に業界から干されてしまったりする。つまりは個人の恋愛も政治的な発言も、マスコミが許容する限度内というか一つの文脈の中で話題を提供している限りは大目に見てもらえたり、応援してもらえたりするのだが、その枠組みからはみ出してしまえば手のひらを返したように無視されたり、そっぽを向かれたりする。タレントや女子アナはそのような仕打ちを受けることが怖いから、無意味に謝ったりするのであろう。まあ、よほど才能があるタレントであれば別であろうが。あの、何とかエリカという女優みたいに。私は彼女には役者として優れた才能があると思う。『パッチギ』の時から凛とした風格があった。反対に言えば、あの程度の才能がなければ、マスコミに媚を売らなければ業界内で生き残れないということであろう。話は変わるが、タレントとマスコミの利害関係はともかくとして、政治家も言ってみればタレントみたいなものである。衆に優れた才能、能力がなければ、結局のところは誰かに操られる地点に自然と落ち着いてしまうということであろう。先日、野田総理がNHKのニュース9に出演していた。あまりの不快感ゆえに正視することもままならず、ところどころ部分的にしか見ていないが、NHKのキャスターも露骨に消費税増税決着への後押しというか、既にまとめに入っていて、心底より呆れてしまった。自民党の谷垣総裁との二人だけでの会談を勧めたり、消費税増税に反対している小沢氏を党の方針に従わせるべきだと助言したり、ほとんど言いたい放題と言ってもよいほどで、これで本当にNHKは国民からの視聴料で成り立っている組織なのかと恐ろしくなったほどである。政治とマスコミのどちらが主で、どちらが従なのかは判然としないが、ここまで公然と国民不在、国民無視を貫く姿勢は異常としか言う他ない。もちろん政治や報道に大衆迎合を求めるつもりは毛頭ないが、国民を馬鹿にするにもほどがあると言うべきではなかろうか。特に“税と社会保障の一体改革”なるフレーズというか言辞がその象徴であり、何度も繰り返すが消費税増税社会保障は直接的には何の関係もない。リンクしている訳ではないということだ。直接的に関係のない二項目をリンクしているかのように一体改革などと言うな。現状の社会保障を維持するためには、どうしても消費税増税が必要だなどというプロパガンダは、小学生や中学生レベルの知的能力者を対象にした誤魔化しであるとしか言えないものだ。財政再建の方法として消費税を増税するのであれば、消費税増税が全体の税収増に結びつくような経済環境を作るために、しかるべき手順を踏むことが絶対的に必要であるということであり、社会保障は公務員改革などと同様にいかにして現状の国家財政に見合った節約、歳出減を果たしていくかということであって、関連はあるが独立した別個の問題である。ましてや景気回復と増税を同時進行で、一体改革の下に達成するなどと、そんな神がかりなほどに高度なことが、牛馬のように愚鈍な野田総理民主党首脳部に見通せている訳がないではないか。単に財務省官僚の権益に配慮して、特別会計の金に手を付けないように、安易な税収確保を計っているに過ぎないものである。とにかくNHKの報道姿勢を見ている限り、日本社会が暗黒の陰謀に包まれているように感じられることだけは確かである。どうしたものであろうか。どうしようもないのだが。