龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

財務省のマインドコントロール

最近、読んだ本で(と言ってももう2カ月ほど前だが)、最も時事に適ったものは、『財務省のマインドコントロール』(幻冬舎)であろう。著者はみんなの党の幹事長である江田憲司氏である。財務省によるマインドコントロールから解き放つことを目的に書かれた本であるとのことである。本の帯には、“野田政権と国民を洗脳し、増税をたくらむ財務官僚の恐ろしい手口。”とセンセーショナルなキャッチコピーが記されている。読む前の印象では、そのタイトルからして、いかにも江田氏も出演していたTVの政治バラエティ番組的というのか、売らんかな主義だけで出版された大衆迎合に堕した低俗な内容ではないかと少々、警戒していたのだが、読んでみるとそうでもなかった。現職の国会議員であり、少数政党であるとは言え、みんなの党という一政党の幹事長職が書いた本であるのだから、当たり前のことではあるが極めて真面目な内容である。大衆の耳目を集めるためだけに面白おかしく作られた本ではない。よって熟読すればそれなりに勉強になる、というより江田氏の言葉で言えばマインドコントロールが解けることは事実である。この本で江田氏が述べている内容について、一つ一つ私の意見や感想を述べていると長くなり過ぎるので、大ざっぱに印象に残った個所について触れさせていただくことにする。恐らくはこの本を読んだほとんどの人がさして気にも留めなかったであろうと思われるのだが、私には江田氏が大蔵省(現、財務省)のことを“「金融を知らず、貸借対照表も読めない」と揶揄されている組織である”、と言及している点が気になった。財務官僚と言えば、東京大学法学部をトップクラスで卒業しているエリート中のエリートである。しかし何故か経済や会計を専門に勉強してきた人間ではなく、中心は法学部出身なのである。江田氏が橋本龍太郎政権の下で総理秘書官として大蔵省改革に取り組んでいた時には、各金融機関は「MOF担」と呼ばれる大蔵省担当の職員を用意し、官僚に金融のABCを教え、接待攻勢を掛けるだけでなく、銀行局や証券局が出す通達の原案まで、何とその規制対象である金融機関の「MOF担」が書いていたということである。これが事実であるならば、恐らくは事実であろうが、現在においても状況はさほど違いはないと思われるのである。我々一般市民にとっては衝撃的な事実であるが、消費税増税方針や、税と社会保障の一体改革なるプロパガンダの本質は、実は財務官僚自身が経済や財政のことを知悉した上で、医者が患者の体を診るように日本の財政再建改革の処方箋を書いている訳ではなく、日本の国益を土台、無視してまで、単に“政治的”に動いている結果に過ぎないということなのだ。もちろんエリートであるから、それなりに愛国心は持っているのであろうが、その愛国心とは決して省の権益から、1ミリ、1グラムたりともはみ出すものでは有り得ないということだ。江田氏のその言及でふと思い出したのであるが、そう言えば作家の三島由紀夫東京大学法学部を卒業して大蔵省に入省していた経歴があった。三島が大蔵省に在籍していたのは確か、僅か1年ほどであったが、恐らく三島は私の想像では、その生涯に亘って貸借対照表も読めなかったであろうし、金融のことも深くは理解していなかったと思うのである。結局、三島のように愛国心のために自決するのも、現在の民主党や財務官僚のように自己利益のために売国的な政治姿勢を保つのも、思想的には対極に位置しているようでありながら“政治”という観点から見れば表裏一体なのである。ところが財政とか会計、要するに金の問題は本当は一番、政治から距離が離れていなければならない分野だ。金の配分は政治の役割かも知れないが、純粋に金そのものはニュートラルで無色透明な数字に過ぎないからだ。よって本気で財政再建に取り組むためには、政治的であることは足枷以外の何物でもないのである。極めてドラスチックにそしてメカニカルに改善しなければ改善しようがないものである。その点、橋下大阪市長の改革手法はドラスチックでメカニカルであるが、それが正しいのだと思われる。ところが国の財政は、エリート意識を極限まで肥大化させた財務官僚が政治家以上に政治的に動き過ぎるから、言い換えれば、政治家を手足のように政治的に操り過ぎるから絶対に健全な改革など出来ないのだ。省の権益から離れられないエリート意識は最終的には、国を利用し国を売ることに収束してゆくことになる。たとえば先日、格付け会社のフィッチ・レーティングが日本の長期国債の格付け評価を下げたが、あれなども非常に怪しいと思う。確かに借金の総額はGDPに比べて大きいが、内容的に見れば日本の国債アメリカや韓国にまで信用的に劣っている訳がないと思う。この時期のあまりにもタイミングのよい格下げは、裏で財務省が手を回して、つまり格下げを依頼してまで政治家に圧力を掛けさせている可能性が高いと私には思われる。まさかそこまではと、訝る人も多いかと思われるが日本の官僚は、特に財務省はどうもそこまで政治的に動く組織であるようなのだ。これは何も陰謀論云々のレベルの話しではなく、江田氏もこの本の中で、“財務省IMFさえ操る”とはっきり明言している。消費税増税のために、日本の国債評価の引き下げを財務省が海外の会社と結託しているのであれば、日本という国は財務省のために存在するのかという話しにもなる。とにかくこの財務省支配の構図は、少なく見積もっても終戦2~3年後に三島由紀夫が大蔵省に入省した頃から現在までまったく変わっていないのであって非常に根深い問題だと思われる。皆さんの幻想を打ち砕くようで申し訳ないが、日本と言う国の権力機構には本当の意味での政治や国家意識が何も機能していないのである。因みに江田氏の同書によれば野田総理財務省にとってパペット(操り人形)ではなく、パーなペットであるとのことである。たまたま私もそのTV番組を見ていたが、ある政治評論家が知り合いの財務省幹部から、野田総理は我々にとってパペットではなく、パーなペットに過ぎないと言い放たれたエピソードを紹介していた。前回、私は野田総理民主党首脳の知性は牛馬よりも愚鈍であると述べたが、結局、馬鹿を馬鹿としか見れないという一点においては、超エリートの財務官僚も私のような一般庶民も見る目は同じということなのであろう。