龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

茶番の結末

ほら、見ろ、という感じだな。私は6月10日の「馬鹿でも分かる展開」と題した記事の最後に、消費税の修正協議について、“非常に不自然な形で、脈絡もなく唐突に民主と自民の間で大枠の合意が成されたとして採決への運びとなるはずだ。どうせ消費税を決めてから、社会保障の詳細な制度設計を協議しましょう、などと言い出すに決まっているのだ。”と述べていた。その記事以前にも修正協議は30年前の八百長プロレスのような茶番劇に過ぎないのであって、99.9%の確率で可決だと見通していた。恐らくは多くの人がそのような感想を抱いていたことだろうから、何の自慢にもならないが、正にその通りではないか。この1週間の修正協議の経緯と結末が、果たして自然で脈絡のある内容だと思われるであろうか。一時、自民党民主党マニフェストの完全撤回や社会保障における自民党案の要求を引き上げて、決裂含みの様相を見せていたが、あれなどもマスコミと一体で繰り広げられていた、やらせであることは間違いないであろう。当初から社会保障分野については棚上げにすることに決められていたのであろう。棚上げにしなければ、消費税増税と引き換えに民主にとっても自民にとっても不本意な決着点に落ち着く可能性が高い。継続協議の形に持ち込めば、今後国民の関心も薄らいでいくであろうし、既に合意された内容も含めていくらでも有耶無耶に出来る。マスコミは盛んに自民党民主党の分裂と解散総選挙を狙って要求を引き上げているなどと、八百長プロレスの八百長解説に勤しんでいたが、全ては国民の目から談合を隠すための馬鹿芝居に過ぎなかったということだ。結局は、民主と自民で結託して利権を食み合うような構図しか、日本の政治にはないということでもある。その利権の構図にマスコミも乗っかっているだけではないのか。今朝の朝日新聞朝刊一面には、「政権交代の回路崩壊」などと国民感覚に寄り添うような内容の記事を掲載している。これまで必死になって“決められない政治”などと野田政権に消費税法案を後押しするような世論誘導に終始しておきながら、可決が確定的になるとほっとしたよう大衆の意見を代弁して見せて、世論という名の市場を落ち着かせようとする。これがマスコミの国民統治の型なのだ。マスコミは自分たちも支配者の一部であり、国民を誘導する権利があると考えている。そのあたりのニュアンスを全ての国民が読み取れなければ、日本は新しい政治の流れを作ってゆくことは絶対に出来ないであろう。吹き溜まりのように流されるところに流れつくだけのことである。ついでに予想というか予言させていただければ、今後、民主党内での承認作業において紛糾し、民主党分裂や解散の可能性が夏祭りのお囃子のように伝えられるであろうが、それもこれも茶番シナリオの一部を構成しているものであって、そうはならない。民主党は分裂しないし、解散総選挙も当面はない。そのようなシナリオはないからだ。シナリオはなくとも、政治家やマスコミは大衆という名の家畜をより一層、飼い馴らすためには、そのようなパフォーマンスが必要であると動物的に信じ込んでいるだけのことである。