龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

メディア・リテラシーの問題

今の民主党など将来性を考えてもほとんど“死に体”状態であり、造反への処分や除籍などと言ったところでほとんど無意味だと思えるのだが、現職議員の心理というものも理解出来ない。私は民主党は、日本にとってまったく無価値であるばかりか有害であるとすら考えている。2009年の政権獲得以降、少しでも何か日本の役に立つような仕事をしたであろうか。ほとんどが揉めてばかりではないか。もちろん民主政治のプロセスとして揉めることも重要なプロセスの一つであろうが、根本的に相容れないものであれば“内輪もめ”は、何度も言うとおり、国民視点的には茶番でしか有り得ないのである。一つの政策決定に際して、何が正しくて何が間違っているかは神以外には、あるいは神ですらわからないのである。よって民主主義の根本とは、政策の無謬性に存するのではなく、政策、法案に臨むところの一政治家の思想、信念にしか有り得ないのだ。大同小異であればともかくも、基本的なところで考え方の方向性が異なるのであれば分裂する以外にないではないか。性質的に分裂すべき異質な思考が混じり合った政党で次の選挙でまたいい加減なマニフェストをこしらえ一体となって、本気で勝ち残れると考えているのであろうか。私はこのような詐欺的な民主党は壊滅してゆくべきであると考えるし、いずれは壊滅することであろう。あとは金の問題だけではないのだろうか。つまり次の選挙にかかる金の問題である。今や民主党は金だけは潤沢に持っているであろうから、民主党の公認となれば党から拠出される金が大きいであろう。だから出たくとも出てゆけないのだと思われる。日本の金のかかる選挙は本当に問題だ。結局は金に収束する仕組みになっているのである。選挙で金が掛かるから、当選後に取り返そうとして、企業や団体にたからざるを得ない。また逆に言えば、政治は金の都合で動くからこそマスコミから見ればコントロールが効くのである。この構造を、マスコミなどは一方で盛んに“政治と金の問題”などと訴え、社会正義の象徴のように特定のスケープゴートにした議員を攻撃しながらも、全体としては維持存続させようとするのである。まさに茶番だ。とにかく前回も述べたように政治とマスコミは、底流で利権構造的に深く結びついている。この紐帯を切り離さない限り、日本の民主主義はこの先、何百年経ようともインチキのままである。因みに今朝の読売新聞朝刊の見出しは、「小沢新党 処分見極め判断」であった。さて問題です。面倒なので記事内容までは引用しませんが、読売新聞の記事は事実を述べているのでしょうか。あるいは既定事実化させようとしているのでしょうか。もしそうであれば、どのような意図で、どのように読者(大衆)を誘導しようとしているのでしょう。私は何も解説しません。皆さんご自分でよくお考えください。それがメディアリテラシーの問題なのです。