龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

幻影を打破せよ

消費税法案を決めるまでは茶番談合で、決めた後は夫婦喧嘩とくる。茶番も夫婦喧嘩も御家騒動の出し物みたいなもので、これが日本の政治である。誰がどう見ても大根役者のためだけに演じられている馬鹿芝居で、観客(国民)不在であることは確かなのだが、この日常的な政治風景は決して改められようとはしない。少しでも思考力のある人間なら分かることだと思うが、日本の政治は民主主義の建前を守りつつも、根本的な部分での変化や改革を忌避しようとする圧力があるから、こうならざるを得ないところに収束していくだけのことである。筋書き的に結末は決まっているのだが、その結末に至るまでの紆余曲折で、何とか国民の目をごまかそうとしているだけのことなのだ。これは政治不在、国民不在というレベルだけの問題ではなく、政治の決定的な能力不在を意味することになる。少しでも日本の権力構造に抵抗を見せるような能力のある人間が政権のトップに君臨すれば、既得権益者たちは危機感を持ち、束になって排除しようとする力学が働く。自然と無能の人間が党首や総理に祭り上げられることとなる。無能な人間は自分の配下に、より無能な人間を置こうとする。たとえば鳩山政権、菅政権で財務副大臣財務大臣を歴任した野田氏は総理になると、素人に2~3本の毛も生えていないような安住氏を財務大臣に任命した。内閣改造でも交代せずに続投させた。これは明らかに財務省官僚に対する野田総理の健気な見栄であろう。自分よりも優秀な人間が財務大臣の後釜に座って、我が身の無能が目立たないようにしているだけの人事だ。すると安住氏しか適任者はいないということになる。まるで合コンに参加する女子学生が男子から友達を連れてくるように頼まれた時に、可愛い子を呼ぶと約束しながら必ず自分よりも不美人を連れてくるという、昔からの鉄則みたいなものである。信じられないことに日本の国は、民主党政治はそのような幼稚なレベルで運営されているのである。このような悲惨な状態であるにも関わらず、それでも尚、無能な政治家同士が演ずる茶番や夫婦喧嘩が、日本の民主主義であるかの日常を永遠に維持しようとする力が政治の背後で働いている。この頸木を打破するためには、我々国民はどのように考え、どのように行動すべきであろうか。先ずは、民主党がどうであるとか自民党の方がまだしもましである、というような思考を脱して夫婦喧嘩のような関係性、構造を徹底的に否定すべきだと思う。つまりは民主党自民党も次ぎの選挙では壊滅に追いやる国民全体の投票行動が必要であると言えるのではなかろうか。今や民主党自民党も共に、日本の癌細胞である。間違ってもこれ以上、増殖させてはならない。手術(選挙)で摘出されるべき対象だと、はっきり認識すべきである。そこからしか、日本の再生はないのだと思われる。民主党自民党も正体(中身)は同じなのだから、それらの対立は幻影である。幻影に惑わされてはならない。主権者は国民なのだから。