龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本政治の出発点

大切なことは何十回でも、何百回でも繰り返し、訴え続けなければならないようだ。日本は10年くらい前から経済や様々な分野で国際的な地位、影響力の凋落傾向の歯止めが掛からない状態にある。たとえば経済で見れば、製造業ではパナソニックやシャープなどの日本を代表するような優良企業が大規模な人員削減を打ち出さざるを得ない状況に追いやられている。理由は国内の景気が悪く、世界的に見てもアジアや北米、ヨーロッパなどの地域において韓国のサムソンなどに完全に追い抜かれてしまって、投資に見合った一定のシェアを占めることが出来ていないからであろう。ところがマーケティング力はともかくとして純粋に技術力だけで韓国と比べれば、日本の優位性は依然として存在するはずなのである。その証拠に日本にやってくる中国人の観光客は、大挙して家電量販店で日本企業の炊飯器など電気製品を大量に買い漁っている。初めから観光コースに組み入れられているようである。中国人が韓国に旅行してこのような電気製品の買い方をしたという話しは、聞いたことがない。よって本当は、日本製品の人気は高いのである。しかしどういう訳か、輸出となると遠ざけられるというか、よほど突出した品質レベルの差(たとえばニコン製のカメラのように)がないと現地で一つの文化として受け入れられないようである。反対に日本国内では優秀な技術力を有する中小企業が、経営者が将来性がないと判断して中国系の企業に買収されるケースが増えてきている。これまでに散々、技術がどんどん海外流出した挙句に、僅かに残っている日本の先端技術が金満中国に会社ごと奪われてしまっているのだ。輸出も駄目で、国内の景気も上向く見通しがまったく見えてこない。これらは本来、全て政治の問題のはずである。ところが日本の政治は、自らの失政、欠陥を認めるどころか、このような状況下で消費税を引き上げて、TPPに参加しようとしている。誰が考えても国家の自滅にまっしぐらに突き進んでいるようにしか見えない。
それでは日本の政治のどこに構造的な欠陥があるのかと言えば、前回にも述べたように、民主主義の対立軸そのものが支配者層にコントロールされているところにある。なぜ対立軸がコントロールされなければならないのかと言えば、日本という国が根本的に変化するのを防ごうとする圧力が背後で働いているからである。よって日本政治はそもそもの初めから、そしてどこまでも、茶番にならざるを得ない前提条件下にあると言えるのだ。お仕着せの対立に国民の意識を巻き込むことによって、既得権益が破壊されかねない対立を巧妙に避けるというか、うやむやにして見え難くしているのである。カメレオンが背景の草葉の色に同化するようなものである。よって民主政治の要諦とは、真に時代(市民)の要請に合致した対立がきちんと構築される社会環境があるのか、どうかということであろう。ところが日本の政治ではその対立の争点がマスコミの情報操作によってごまかされてしまうパターンが常態化しており、政治家もまたその文脈の枠組みの中でしか動こうとしない。たとえば民主党自民党の二大政党による対立軸は鳩山政権の1年間だけで実質的に終わってしまった。鳩山氏がどうのこうのと言うより、もちろん、どうのこうのもあるけれど、対立軸の性質そのものが支配者(既得権益者)層に危険視されたので潰されたのである。それ以降の民主党は中身的には自民党とまったく同じになったので、支配者層にとっては安心、安全で微笑ましい夫婦喧嘩の範疇に収まってしまったということであろう。民主党政権より以前には、自民党の政治しかなかったのであるが、元小泉総理などが、「自民党をぶっ潰す。」などと威勢のいい事を言えば、国民の喝采を浴び、旧自民党新自民党の間で俄かに新しい民主主義の体裁を装った対立が作られることとなったのだが、現実的には既得権益者のための政治しかなかったのである。あるいはマスコミ的には、政党間、政党内の対立だけでなく右翼、左翼的な思考、感性そのものが民主主義の体裁と大衆統治のための道具として機能した時代が長く続いてきた。国家観と言い換えてもよいのかも知れないが、国民生活と何の関係もないところで靖国神社や国歌、国旗などを対象に延々と神学論争のようなことをやり続けることが文化、教養レベルの高い国であるかのように思えた平和で牧歌的な時代もあったということだ。一般的な日本人の感覚は、これまでのこのような情報や政治風景にあまりにも深く飼い馴らされてしまっているので、権力とは無縁の市民だけでなく、政治家ですら一旦、権力を掌握すると何をどのように改革すればよいのか途方にくれるような有様になっているように見える。よって民主党のように恥も外聞もなく白旗を上げて、これまでの権力構造のラインに乗るというか従来の惰性に従う選択をすることになり、また民主主義の体裁を取り繕うために自民党と夫婦喧嘩のようなこともしなければならなくなるのである。私は日本のこれらの政治的な精神風土を開拓するためには、憲法改定しかないと考えるものである。自主憲法制定による意識改革と地方分権、この二つが車の両輪のように滑走することが果たせた時に日本は再び浮上し、世界の大空へ飛翔するのだと思う。とにかく次の選挙では、どこの政党を勝たせるかという問題ではない。民主党自民党という癌細胞をいかに政界から駆逐し、壊滅させることができるかということにしか意味はないと思われる。癌細胞が、良質な細胞に変化することは絶対に有り得ない。腐った野菜は、瑞々しさを取り戻すことはできないし、死者は生き返らない。そういうことなのだ。癌細胞がごくわずかでも体内(国内)に残れば、健康な細胞まで必ず癌化する。そういう意味では、みんなの党などは非常に怪しいし、維新の会にも既に汚染の手が伸びているようで完全には信用できない。橋下氏は国政の場に出ないで、大阪市長に留まっているのがよいであろう。国民の生活が第一も、たとえ議席数を大幅に増やしたとしてもはたして政権を担えるだけの人材がいるのかとなると今の民主党以上に心もとない。しかしそうではあっても、とにかく民主党自民党を壊滅させて、民主党自民党以外で新たな日本の政治の対立軸を作っていかなければならない。民主党自民党が跡形もなく消滅することが、日本政治の出発点である。