龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

投票日の前日に思うこと

選挙の投票日に台風が接近してきているというのも何か啓示的なものを感じる。でも個人的には投票率などどうでもよいし、投票には行くであろうが自民党が勝つのであれば、勝てばよいという気持ちだ。自民党を支持している訳ではないし、支持どころか嫌悪感しか感じられないが、日本に自民党の政治しかないのであれば自民党が勝つべきなのである。そしてその唯一の政治スタイルに国民の意識をフォーカスさせて徹底的に批判すべきなのだ。それが野党の目眩まし的な、昨日、今日にできたばかりのような希望の党や、立憲民主党などが自民党を下野させるような事態になると、またややこしいことになる。ややこしいというか、日本の政治が錯綜し混乱することとなる。そしてそのような状態が3年とか4年ぐらい継続することになる。それは日本にとって不幸以外の何物でもない。全ての国民に言いたいが惑わされてはならない。今の日本には、二大政党制もなければ、本当の意味での民主主義を代表する政治の争点や対立軸も存在しないので、野党に票を与えたところでそれで何かが変化したり進歩するものではないのである。もしかすれば前進するかも知れないという錯覚が選挙の幻想なのだ。見かけ上は複数の政党が乱立していても日本の政治手法は一つなのである。その一つがどういうものかということを国民が正確に見極めて、それを波しぶきが岩盤を削るように根気よく、少しずつでも変質させていかなければ、日本の政治はいつまで経っても国民不在の政治のための政治でしかないということである。だから不快であっても憎悪の対象でしかなくても自民党が勝たなければならないのである。そして実際にそうなるのであろう。マスコミがいうところのリベラルと保守の戦いなどという誘導に騙されてはならない。リベラルも保守もない。繰り返すが日本の政治手法は一つしかないのである。表面的な見かけ上の対立図式が、国民の本質を見る目を妨害するために装われているだけなのである。だから自民党も腐ってはいるが、その腐敗の構図を認めようとしない野党は実はもっと腐っているのである。今回の選挙は、いや日本の選挙はいつであろうと同じであろうがスーパーの生鮮食品の売り場に買い物に行って、腐った魚しか並んでいないようなものである。どれを食べても激しい下痢になったり病気になりそうだが、権力者は贅沢を言わずに必ずどれかを選んで食べろと庶民に命令している。そういう選挙である。だから我々市民とすれば自らの身を守るためにも、同じ腐っているにしてもまだ少しはましな物を選ばなければならない。悪臭を放っていても元の原形を保っているような魚なら火を通せば食べられるかも知れないが、原形も崩れていて蛆虫が湧いているような魚を食べることは自殺行為である。だからそういう意味でも希望の党立憲民主党などを選択することは非常に勇気のいることだと思われる。私に言わせれば世間の人々は政治を見る目が甘過ぎると思う。腐敗とか堕落などと誰もが日常的に口にはするけれど、その程度というものが実感としては全く理解できていないのだと考えられる。だから政治とはそういう世界なんだというような感覚で鷹揚に受け入れてしまうことになるのだと思う。もっと日本人は日本の政治と言うものを腐った魚を食材として見るような肉感というか本能的な目で判断するセンスを養っていかなければならないと思う。そのためには先ず、マスコミの情報というものを政治に対置したものではなく、政治と同質の政治の側にある操作として思考する知性なり精神が必要なのだと思う。それがなければ何も始まらないし、何も変われないのである。ともかくも保守かリベラルか何か知らないが、選挙結果で日本の何かが変わることを本気で信じているような人は、私の目には馬鹿にしか見えない。