龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

危険な日中関係

政治は常に複合的な要因を抱えながら社会現象を誘発させていると見れるから、今回の中国各地で発生したデモ騒動も、中国共産党内部での権力闘争や民衆の不満のガス抜きとしての側面もないではあろうが、主要な原因、というよりもほとんど全面的に尖閣諸島の国有化が直接の契機となったことは間違いないわけであり、中国の内部事情をあまり深読みしていても事の本筋を見失うだけで、日本の政治にとっては何の進歩にもならないものと思われる。ただし唯一はっきりしていることは、中国政府がデモの発生と終息をほぼ完全にコントロールしている点にある。尖閣諸島海域への漁船や監視船の派遣の動きと合わせて、同時発生的に中国国内における日本企業の工場や店舗が放火されたり略奪されるような行為は、一本の指示系統の中においてしか考えられないものである。よって暴動が、反政府デモに転ずる一歩手前で、政府が抑制にかかったとする見方も(これまでにも中国で反日デモが発生する度に説明されてきた見方であるが)、私は正しい見解ではないと思う。天安門事件を見てもわかる通り、中国政府は民衆が党の権力基盤を揺るがすような反乱の動きを見せた時には平気で軍隊を使って鎮圧し、多数の死者を出すことにもさして躊躇がない。今、中国の民衆が政府に対して命がけで抗議するような状況にあるとは到底、考えられないものであり、むしろ政府と大衆は以心伝心的に一体化していると見るべきである。また、そのような国家体制は必ず外部に敵を必要とするものである。日本は中国にとって、また韓国にとってもそうであろうが、官民一体となった国威発揚のために便宜的に敵国とするには非常に相応しいというか都合がよい対象だと考えられる。中国のやり口はいつも通りのワンパターンである。大衆を煽動して暴動を起こさせ、日本企業の工場や店舗に対して危害を加えさせる。その上で経済制裁をちらつかせつつ、戦争の一歩手前のような緊迫した状態をも意図的に作って日本に圧力をかける。海外の反応を気にかけて大衆の暴動は適当なところで切り上げさせるが、軍事的な威圧パフォーマンスは継続して示し続けられることとなる。このような中国の策動に対して、日本の馬鹿な政治家やマスコミは、“冷静に話し合いを”などと無意味なことを言い続けるのであるが、そういう問題ではないであろう。このような危険性を顕在化させて尚、それでも中国は重要なパートナーだなどと発言する野田総理の、あるいは日本の政界全体の神経がわからない。日本の政治は根本的に何かが麻痺し、何かが狂っているとしか言えない。それにもまして中国に進出している日本企業の対応も不可解である。今回のような政治リスクを承知しつつも、人口13億人を擁する巨大マーケットの魅力は捨てがたいと撤退しない企業が多いようである。略奪され放火され、その上に日本製品の不買や排斥が叫ばれているのにである。日本政府も企業も考えているところは同じだと思うが、過激な反日運動をまるで台風のように一過性のものとして看做しているのであろう。嵐が過ぎればまた元の平穏無事の日常が戻ってくると考えて、やり過ごそうとしているのだと思われる。大衆の暴動を嵐のような自然現象と考えて、我慢するというか諦めることはいかにも日本的な反応だとも言えるのだが、果たして本当にそれでよいのであろうか。私はそこには日本という国の総体的な政治判断がまるで欠落していて、各企業のそろばん勘定しか存在しないところの問題があると思われるのである。ショーウインドウの窓ガラスを割られたぐらいでは、たとえ保険が適用されなくとも、年間の収支で考えれば、大した損害ではないと言えるかも知れない。要するに最終的に儲かればよいのだという考え方である。企業文化や企業理念などといくら高尚なことを言ったところで、所詮は儲かるか、儲からないかの判断基準しかない訳で、その判断自体は止むを得ないと言えるかも知れない。しかし各企業はそれでよいであろうが、日本全体で考えた時に、暴動によって甚大な被害が総合的に出れば日本の政治はそれを無視することは出来ずに、中国の圧力を受け入れざるを得ない状況に追いやられてしまう。そもそも中国当局はそういうことを計算ずくで、大衆を煽動して暴動を起こさせたり、機を見て抑圧していることは明らかである。つまり中国に進出している日本企業の工場や店舗などは全て、領土問題などで日中の政治対立が表面化した際には、暴力行為の対象として中国側に政治的に都合がよいように利用されてしまうことになるのである。2010年9月に日本の海上保安庁尖閣諸島沖合いで中国漁船を拿捕した時に、中国国内で報復的にフジタの社員4人が拘束されたことも構図的にはまったく同じであり、そろばん勘定を抜きにして考えれば到底、友好的に安定した交流が続けられる関係性にあるとは言えないものである。これでは素人が暴力団を相手に商売しているのと同じである。相手が暴力団であっても利害が一致している間は、よきパートナーに成り得ようが、一旦対立したり揉めたりした時には刺されたり、殺されたとしても自己責任であるとも言える。中国の一党独裁権力の性質は本質的にマフィアと同じであり、大衆の集団行動は民度が低いという以上に動物的ですらある。そのような国をパートナーとしてはいけない。前回にも述べたことであるが、日本には企業のそろばん勘定があって政治がない。そろばん勘定が政治よりも上位に位置せられることの危険性というものを今一度、よく考えるべきである。