龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

アウトレイジ ビヨンド

北野武監督の映画『アウトレイジ ビヨンド』を体育の日の10月8日に見た。前作を見ていなかったので、わざわざレンタルで前作『アウトレイジ』を借りて家で見てから、劇場に足を運んだ。14時上映の回を見たのだが、ほぼ満席であった。何でこんなおばちゃんが、と言うような女性が数人で連れ立って、楽しそうに見に来ていたのが印象的であった。感想を述べれば前作ともそうなのだが、一口で言って決して退屈ではない。裏返せば、面白いのである。しかし何と言うのか、これは娯楽映画である。暴力を描いているのではなく、一般の人が非日常的な暴力を痛快に楽しむ映画であると言えよう。よって映像的にはそれなりに迫力があるのだが、筋書を追って見れば無茶苦茶というのか、いくらヤクザでもこんなに次から次へと簡単に人を殺すものではない。これだけ裏切りと報復の殺しがあるなら、そもそもヤクザが組織を作る意味がないではないかと、見ていていらぬ心配までしてしまうことになる。またマル暴の刑事(小日向 文世)がヤクザと繋がっているのはよいとしても、警察組織が組の抗争でこれだけ大量の死者が出ているのに容疑者を挙げようとしていないことも不自然だし、組に対して沈静化への圧力をかけないことも現実にはあり得ないことだ。そういう映画だと言ってしまえばそれまでだが、真面目に脚本から見ていると、はっきり言って白けてしまうのである。ヤクザという存在を美化していないのはいいのだけど、あまりにリアリティーに欠けすぎると一体、何を描いているのかわからなくなる。単にヤクザを戯画化したような映画のようにも思えてくる。暴力を描いた映画で思い出す作品は、デヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』や『イースタン・プロミス』があるが、クローネンバーグと主演俳優ヴィゴ・モーテンセンとのタッグは最強であった。暴力をグロテスクに描いていても、その暴力には思想というか説得力があるから悪の美学のような煌きがあった。北野監督の暴力は、どこかテレビ的である。観客が見たい映像を安っぽく提供しているだけだ。だから、おばちゃんたちまでもが嬉々として見に来るのであろう。北野氏はテレビに出過ぎているから自然とこのような映画になるのであろうか。正直なところ、私にはこの映画が世界的に高く評価されている理由がよくわからない。いかにも善良そうなおばちゃんに囲まれて見る暴力映画は、面白くても面白くない。ということだ。