龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

亀田興毅が今、考えるべきこと。

いろいろと考えなあかん。8度目の防衛戦終了後に亀田興毅が漏らした感想である。2003年のプロデビュー後、10年を一区切りとして興毅が、考えなあかんこととは、何であろうか。私が思うにそれは階級のこととかではなくて、そろそろ父親の影響から脱皮することではないのだろうか。一ボクシングファンとして興毅の試合を見ていて思うことは、興毅のボクシングスタイルは、ある意味で完成されている。よって戦い方を含めて、技術的にこれまで以上に大きく進歩したり、変化することもないであろう。しかしこの1~2年の試合を見ていて精彩が感じられないのは、そのようなボクシング能力の限界に来ているというよりは、どうも精神的な要因によるところが大きいのではないかと感じられるものである。はっきり言うが、興毅の防衛は自分の力で勝ち進んでいるというよりも、判定も含めて周りの力で勝たせてもらっている。そしてその外部要因に、未だに父親、史郎氏の力が大きく介入しているのではなかろうか。先日の韓国の孫正五選手とのマッチメイキングも、格下の弱い相手にKO勝ちさせて、自信をつけさせようとの「親心」が感じられるものであった。ところがどっこい思惑に反して、すかっとしたKO勝ちどころか、またしても疑惑の判定での勝利である。これはどう見ても、ボクサーとしての過保護環境によってスポイルされている部分が大きいと言えるであろう。父親の史郎氏に対しては、これまでの感謝の気持ちを持ち続けることは当然であろうが、自分の道は自分のリスクで切り開いていかなければならない。おそらく興毅は今、そういう時期に来ているのであろうと思う。父親の命ずる通りにしていれば、念願の世界王者にもなれて、防衛も続けてこられた。しかし男がいつまでもその状態ではダメだ。今の時期に父の史郎氏と対立してでも、真の意味で自立出来なければ、現役でボクシングをしている時はよくても、いざ引退してしまえば何一つ自分の判断でできない人間になってしまうぞと言いたい。興毅の試合を見ているとそういうことが何となく感じ取れるのである。次男の大毅や三男の和毅は、顔つきを見てもまだ子供っぽいから、史郎氏の影響下にあってもよいのかも知れないが、長男の興毅はそろそろ大人に成り切らなければならない。対戦相手に関しても、指名試合以外は、興毅が自分の意志と判断で対戦相手を選んで真剣勝負としてのボクシングの興行を、自分のリスクで作っていかなければならない。そういう意味では、同級のWBCに日本人王者の山中がいて戦わないのは誰が見ても不自然だから、自分から対戦の意思表明をするべきである。ボクシングというスポーツにおいて、王者が石橋を叩いて渡るかのような安全策で何となく防衛を積み重ねてゆくという姿は、ファンにとって見れば最も見たくない、嫌悪すべきものでしかないのである。それに疑惑の判定が加われば尚更、一層のことだ。現在の興毅の戦い方は、残念ながら真のボクシングファンを、ボクシング観戦から遠ざけるものでしか有り得ない。だからこそ視聴率も10%前後と低迷するのである。思い切って、山中と戦えよ。負けるかも知れないが、いや恐らく、負けるであろうが、まだ27歳なのだから再起できるではないか。ある意味では、それからが本当の興毅のボクシングであり、ファンもその勇気を称えて、決して見放すことはないであろう。今の安全運転みたいな対戦相手で、疑惑の判定勝利ばかりもらっているのでは、見ている人間は、ストレスと怒りしか感じられないものである。それからついでに言えば、TBSとの関係も見直したほうがよいのではないか。私は業界の人間ではないから詳しくはわからないが、TBSの放映は、どうもその演出も含め、全体的に胡散臭い気配が画面を通して伝わってくるようである。TBSが諸悪の根源であるのではないかとすら思えるほどである。他の局にも放映させて、亀田家のボクシングのイメージを再構築するべきである。