龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

新年のご挨拶

善男善女の皆様方、明けまして、おめでとうございます。と言っても、もう7日なので、遅れ馳せのご挨拶ではありますが。サボっていた訳ではありません。いや、新年早々、嘘はいけません。サボっていました。死んだと思われてもいけないので、何とか重い心を奮い立たせて、軽やかにキーボードを叩いている次第でございます。
何と申しましょうか、今年は本当に自然災害のない、日本にとって平穏無事な一年であって欲しいと心から願って止まないものです。個人的にはいろいろと今の日本に対して、ご意見申し上げたいこともあるのですが、しばらくの間、このようにサボっておりますと、言葉や思いが自らの精神の内に、深く深く未踏の地に降り積もる新雪のように覆われ、閉ざされてしまって、それをまたシャベルならぬ思考で掘り起こしてきて、ほら、ご覧とばかりに提示するように表現することは、大変に憂鬱であると同時に、エネルギーが要るものでもあります。そういうことで本当は私は何も言いたくはないのです。路傍の地蔵仏のように、朽ち果てるが如く沈黙を保っていたいのです。しかし人生はそうとばかりもいかないようでもあります。人間の精神も、一つの機械と同様に、インプットとアウトプットの周期的な繰り返しで、絶えず均衡を保っていかなければならないものなのでしょうか。季節が巡るように、私の言葉にも春夏秋冬があるようです。夏の酷暑に自堕落にだれてばかりいる訳にもいきませんし、冬の寒さで沈黙の中に引きこもり続けていると、春を待つ新芽のようにむずむずと動き始める何かが言霊に感取されるものです。私が何も言わなくとも、日本にはこれだけたくさんの人間が存在して、インターネットによる発言の機会が無数にあるのだから、誰かが、私でない誰かが、私が感じ考えている通りのことを、私以上に的確に、そして豊かに表現し主張してくれることであろうと他力本願に期待しつつ黙ってしまうものでありますが、やはり私自身が何事か述べなければならない必要性に後押しされるような心持ちもします。なぜなら、こう言っては何ですが、インターネット上の主張や発言は、その場限りの便所の落書きのような類のものは星の数ほどありますが、何かについて系統立てて論理的に、尚且、継続して、独自性のある意見を展開させ続ける性質のものは意外なほどに少ないか、ほとんど存在しないようにも見受けられるからであります。これでは、民主主義などと言ったところで、結局は特権的な一部の者の意向だけで、国の行く末が左右されても仕方ないではないかと考えると、黙っていられないような気持ちに追いやられていきます。そういう訳で、これからも私は周期的に黙ったり、発言したりを繰り返すことになると思われますが、そういう一つの個性と言いますか、精神構造上の摂理として、暖かく見守って頂ければ幸いです。これからも宜しくお願いします。今日のところは、この辺にて。