龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

人間の身体と死について

やしきたかじんさんが死んだ。64歳である。一般的には早死ということになるのだろうが、どうなのだろうか。私も現在50歳で、年を取ってくるとだんだんとわかってくるが、人間の体というものは、神秘的な代物ではなく、即物的に機械のような物である。たとえば同じ車種の車でも、走行距離10万キロで壊れる乗り方もあれば、20万キロ走っても日頃から大事に扱っていれば、何の問題もなく乗り続けることが出来る。俗に人間の寿命には天命があるなどと言われるが、まあそういうこともあるのかも知れないが、医者がよく言うように人間の体は、日頃のメンテナンスによって寿命が決まってくるということが一つの真理なのだと思う。そう言う意味では、たかじんさんのようにヘビースモーカーで癌治療の療養中にスナックに飲みに行くような不摂生な生活をしていれば、自分で自分の死期を早めているのと同じで、あまり可哀想だとか気の毒だという気には、正直に言ってなれない。人間、長生きをしようと思えば、健康に気を使った生活を送らなければならないのであり、無茶な不摂生を続けていれば、それなりの時期に死んでしまう。それだけのことだと思う。本人が早死しても構わないとの決意と覚悟の上での生活であったのであれば、結果的には、それがその人の天命ということになるのであろう。ただ、まあ私もタバコは吸わないが、酒はそれなりに飲むし、定期的な健康診断も受けていないのであまり偉そうなことは言えない。単に長生きするためだけに摂生につとめる人生とはつまらないものであろう。それでは何のための人生かわからないというものである。酒もタバコもストレスを溜め込む生活も全ては緩やかなる自殺ということになるのかも知れない。人生とは日々、死を取り込んでいく作業である。しかし生命というものの本質が、物心二元論的に身体以外の精神にあるのだとすれば、身体は一時的な住まいに過ぎないものであるという理由ゆえに、私の実体では有り得ないこの壊れやすい入れ物を大切に使い続けなければならないという教訓は成り立つのであろう。身体がすなわち私そのものだと思うからこそ、無茶もしてしまうのである。さて身の回りでも多くの人が亡くなってゆくが、この私はいつまで生きることになるのやら。確かなことは、100年後のこの世界は絶対に見れないということであり、それが何とも言えず淋しいような気もするのだが。地球や人類はどのように変化し、そして進歩してゆくのであろうか。ああ、見てみたい。