龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

やらせと真実の境界

偏見か先入観なのか、基本的に私はTVは、ほとんど「やらせ」だと思っている。バラエティーだけでなく、ドキュメンタリーや報道番組においてもそうである。特に、超能力や霊能力についての特集番組であるなら尚更だ。人知を超えた超自然的な能力や存在を一概に否定する訳ではないが、そういうものを一つの番組として作り上げ、多くの視聴者に見せようとするTV局には、未知の領域に対する真摯な究明の姿勢や真実への誠実さなどは、そもそもまったくないか、あって無きが如しだと考えている。所詮は、単なる広告の道具に過ぎないのであろう。一時的に視聴率が取れればそれで良いのである。後は内容がどうであれ、忘れ去られていくのみで、多くの場合その中身が検証されたり吟味されることはない。しかしTVの日常的なやらせと、世間一般の社会通念や良識は表裏一体となっていることも多く、完全に切り離して考えたり、排除することは難しい。それほどまでに我々の日常生活と意識は、電波による広告によって、深く拭い去りがたいほどに染め抜かれてしまっているのである。また、やらせであるからと言って、そこにまったく真実がないというわけでもない。やらせもまた、言葉の定義はともかくとして、寛容なる広義の意味合いにおいては、商業主義的な真実の一側面なのである。政治の世界も同様なのであろうが、虚と実が入り混じっていて、はたして何が真実で、何が嘘なのか、政治家自身がよくわかっていないのではないかとすら思えるほどである。日本とは摩訶不思議な国である。ともかくも我々はそういう世界に発狂することもなく、日々何とか生きているということである。
さてTVのやらせと真実の境界について、個人的に深く考えさせられる、ちょっとした体験があったので紹介させていただくことにする。27日の木曜日、夜9時にTBSで、正確なタイトルは忘れたが宇宙人やUMAなどの映像を公開する2時間の特番があった。私は何気なく見ていたのであるが、宇宙人やUMAの信憑性はともかくとして、それらの映像公開の合間に、「マインドハッカー」なる人物がスタジオに登場して、ゲストの心を読むというパフォーマンスを演じたのであった。その男がまた、いかにも胡散臭そうな顔をしているのである。マインドハッカーだかマインドハッキングだか何か知らないが、事前にゲストと打ち合わせ(すなわちインチキ)がなされていないという保証はどこにあるのかということである。それを言えば、身も蓋もないと言われるかも知れないが、しかし、そういう肝心の大前提を、視聴者に対して疑いを持つなというTV局側の姿勢は、私は傲慢だと思うのである。それは超常現象の紹介であっても政治の報道でも基本的には同じである。超能力者や霊能力者や政治家よりも、この世で最も疑わしく、信用できない存在が実はマスコミなのである。そういう自覚も皆無に、マスコミとは無前提に善にして真なりと発する態度に私は腹が立つのである。さて、それでそのマインドハッカーなる男はスタジオの二人のゲストを相手に目を瞑らせて、肉体的な体感を移動させるようなことをやっていたが、見ている私は正直に言って信用できなかった。その手の番組で失敗した場面など見たことがないし、ゲストもそれなりの出演料をもらって自分自身の宣伝も兼ねた上で、視聴率に貢献しようという意識を持っているのは当然であるから、事前に何らかの示し合わせが行われていると考える方が自然であるというものである。最後にゲストの華原朋美さんが前に呼び出されて、華原さんが心に念じた初恋の男の名前を、男が言い当てるというパフォーマンスが行われた時には、私はあまりの白々しさに馬鹿らしくなってきたものであった。しかし馬鹿らしくはあるものの、半ば白けた気分で華原さんの念ずる顔をTV画面で眺めていると、私は華原さんの初恋の男の下の名前とは「ヒトシ」ではないかと、確信はないが、そのように心に浮かんできたのであった。そしてTVに意識を集中して考えたところ「サトシ」かも知れない、「ヒトシ」か「サトシ」のどちらかだと思った。そうしたところ、マインドハッカーの男が画用紙にマジックで、「ヒトシ」と書いたので私はびっくりした。TVでは、華原さんは「エー、何でわかったの。」と驚いた顔を見せていたが、その辺のやり取りが本物であるのか、やらせなのかは見ている方には何とも言い難いものがある。しかし私がわかった、と言うか当たったのは、やらせでも何でもなく、正真正銘の本物なのである。もちろん単なる偶然ということは有り得るが、無数にある名前の中で、何の情報もなく「ヒトシ」を当てる確率は0ではないにせよ、非常に小さな数値だと考えられるものである。これは一体、どういうことなのであろうか。と言っても、中々信じてもらえないかも知れないが、私はそういうつまらないことで嘘をついて注目を集めようとするタイプの人間ではない。むしろどちらかというとその正反対の性質であって、とにかく信じてもらえるかどうかはともかく本当なのである。インチキ臭いTVを見ていて、まさか自分自身が軽蔑の対象で見下していたマインドハッカーであったと発見するとは、まるで笑い話のようであるが、これは真実である。やらせと真実は絡み合って一体となっている。包丁で肉を切り分けるように、やらせと真実を綺麗に分離することは難しいということの話しである。