龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

思想、信条の罪深さ

法の下の平等という大原則がある限り、特定の団体の特定の行為を対象として新しい法律を制定するというわけにはいかない。ヘイトスピーチであれば在特会という団体のデモ活動が問題視されてきたわけだが、いざ法律で対処するとなると前回にも述べた通り、ヘイトであるかどうかについての判断基準の曖昧さや、法律制定による利権が絡んだ不可逆的な社会変化、つまり一旦法律を新しく作ってしまえば、いかにしてその法律を廃止することなく存続させ続けられるかどうかが一義的に重要となってくることによって、それに付随する様々な社会操作や宣伝工作が政治とマスコミが一体となって推し進められることとなる。その結果、世の中全体がある種のファシズム的な色合いを帯びてきて、国民は自由闊達で伸びやかな精神を持ち得なくなり、型にはまった息苦しい生活を余儀なくされることとなる。それはDV法制定においても見られたことだが、対象が差別ということになれば、その問題の性質上、監視社会への移行というベクトルを有するものであり、より一層健全な市民生活が圧迫される危険性が高いものである。デモ行進の拡声器を使った差別的表現だけを取り締まる法律であればよいではないかという声もあるかも知れないが、広義の意味合いにおいてはヘイトスピーチもまた憲法に保障された思想、信条の表明の一部である。同じ思想、信条の表明であるのにヘイトスピーチがダメで、ブログの記事であればOKということには、法の整合性という観点から見ても成り立ち難い。またヘイトスピーチが消滅した時に(現になくなっているが)、新法だけが宙吊りのように存在することは具合が悪いということから考えても、将来的には全ての表現活動が差別の監視対象となる必然性があると言える。市民の自由な表現活動が取締や検挙などによって抑圧されることになると、その反動で、在日韓国人などに対する差別感情や憎悪がより一層、増幅されたり強化され、一旦終息していたヘイトスピーチが各地で再発生する悪循環の原因となる可能性がある。これは差別というものの本質を理解できていない政策(法)によってもたらされる皮肉な結果である。また実際に、穿った見方かも知れないが、人権擁護法の体制下では、韓国政府の息がかかった在日の人間が人権委員会に多数入り込んで、差別の名の下に日本の政治や言論全般を強圧的に統制することも充分に可能である。そうなると差別云々の問題ではなく、日本の政治の独立性をいかに取り戻すかという地点に一周して立ち返ることとなり、結局はヘイトスピーチの問題の本質とは、差別でも排外主義でもなく、戦後秩序と外圧からの独立以外にないことを認めざるを得なくなるであろう。事の真相がそうであっても声高に差別的なメッセージを合唱するデモは否定されなければならないが、法律で取り締まれということであれば、もっと多面的、立体的に思考しなければ危険である。大義名分が差別撤廃であれ、言論の監視を一旦許してしまえば、歯止めが効かなくなる。山本リンダではないが、もうどうにも止まらないといった状況に陥ってしまえば取り返しはつかないのである。朝日新聞などの左翼はすぐに改憲派への警告として、歯止めが効かなくなって戦前の軍国主義に回帰する恐れがあるなどという風に「歯止め」を使用するが、その実、現在においてもイデオロギーには関係なく、全体主義的な言論統制の下地は着々と整えられつつあるものである。マスコミは、特に左翼はこのような今日的な危険性については戦後秩序に反することであるので、まったく触れようとすらしない。左翼は基本的には、戦後秩序内の正義しか持ち得ていないものである。ともかく既に法律以前の問題としてそのような言論統制言論弾圧の兆しが見られているものである。ここにおいて、一つの事件を題材にその危険な兆候を具体的に考察することにする。
ご存知の方も多いと思うが、今から2年ほど前に、在特会の元幹部と関連組織のメンバーの計4人が、ロート製薬本社にキム・テヒという韓国の女優をCMに起用していることに抗議するために訪れて、社員との面談中にキム・テヒ起用の是非について回答するように強要したとかという理由で逮捕され、起訴された。公判では4人とも有罪になり、その内の二人はそれ以前の抗議活動において執行猶予中ではあったが、実刑の判決が出され刑務所に収監されることとなった。その時の様子が動画で公開されているので、時間のある人は見ればよいであろう。
最初に断っておくが、私は彼らのこの行動を支持するものでも、擁護するつもりもない。また、この事件がその後のヘイトスピーチデモへの発端になったのかどうかもよくは分からないが、全く無関係ということもないと思われるので客観的にそれなりの検証は必要だと考えられる。先ず個人的な意見を述べさせていただけば、ロート製薬がCMに誰を起用しようと、そのタレントが韓国人で反日活動家であっても、国家スパイであろうと、極端な場合は殺人犯であっても勝手である。それは我々一個人が、思想、信条の自由を認められていることと同義であって、他者から干渉されたり撤回を強制されるものではない。よってその4人の抗議は、その内容以前に元から実のあるものでも、賢明な方法でもなかったと言えよう。ましてや4人の中の1人がその面談の模様をビデオで撮影してインターネットで公開するということであれば、最初から威圧的に喧嘩を売るような態度であり、それではロート製薬の応対者も、膝を交えて忌憚のない意見や感想を述べられるものではない。もちろん代表者でもない一介の社員が本音を述べられるかと言えば甚だ疑問ではあるが、それでもそのような状況で、「竹島はどこの領土か答えてみろ。」などと迫るやり方は、あまりに無茶であるし、無意味でもある。そんなことをするのであれば、ロート製薬がこのような問題のあるタレントをCMに起用していますと不買運動のデモでも起こした方がよほど効果的であった。なぜなら企業は一本のCMを制作するのに多額の金を出しているのである。その目的は商品の売上が拡大して、企業イメージが向上することを期待するものであることは言うまでもない。多額の費用を出して広告を作った後に、大手マスコミが大きく取り上げないにせよ一部で不買運動のデモまで起こされて、果たしてそれでもそのタレントや類似の韓国人タレントを起用し続けようとする確信的な政治性向を企業が持ち得ているとは到底、考えられないことである。結局のところ企業の価値判断は、儲かるか損するかの二者択一しかないものである。それは当然、ロート製薬という企業も同様であろう。ロート製薬の本社がある地域は、在日の人間が多く住む地域であるから日韓親善という方針ぐらいはあるかも知れないが、そんなに深い考えに基づいた立派な決断でキム・テヒを起用したとは考え難い。よってそういう所に抗議しに行っても、担当者は何ともかんとも答えようがないものである。また実際に動画はその辺の雰囲気をよく映し出している。私から見れば、その抗議者の4人は明らかに下手を打ったのである。下手を打ったのかも知れないが、逮捕されて実刑になるようなことなのであろうか。確かに一般的な抗議からは、若干の逸脱は見られる。「右翼のきついところ、紹介したろか。」などは強迫的な暴言である。暴言ではあるが、暴力は一切振るっていない。また抗議の内容や発言は差別とも何の関係もない。到底、上品な口振りとは言い難いが彼らなりの思想、信条を述べているだけのことである。これで実刑の判決が出るということは明らかに在特会という団体は、日本の国家から「反社」の扱いを受けているのと同じである。暴力団の構成員が、新しく出来たスナックにみかじめ料の要求をしに行って、警察に通報されて逮捕されたというような状況だ。しかし在特会やその関連組織は、機関誌の購読を押し付けたり、何らかの寄付金や献金を強要するような、政治家が大企業に対して当たり前のように行っている政治行為を行っていた訳ではない。別に私は弁護するつもりはないが、どこかの健康食品会社から8億円ももらって、恐らくはその金の一部で嫁さんにフェラーリを買ってやっていたような政治家は未だに刑務所に入っていないではないか。それで何で私利私欲で動いている訳ではない、純粋に国を憂いているがゆえに乱暴な発言をしただけの人間が、1年間もの実刑判決にならなければならないのか。そこにどれほどの法の下の平等と整合性があるというのであろうか。ここにあるのは言論弾圧、抑圧の構図でしかない。何で急に無意味に世の中全体が韓流に染まらなければならなくなったのか、何で政治の外交が機能せず国益が毀損されていく一方の時期に国民だけが脳天気に韓流を受け入れることでそれらの代償とならなければならなかったのか、そういう疑問にまったく答えることなく、目障りな邪魔者とその主張を統治の権力が潰しにかかってきていただけのことではないのか。そういう状況の延長線上にヘイトスピーチと法的規制の問題が今、出来しているということではないのか。物事は表面だけ眺めていても、その実態は分からないものである。人生の目的とは、安全に儲かりさえすればそれでよいのだろうか。人間の幸福は物事の表面だけを信じて、決してその本質を追求しない姿勢にあるのだろうか。私にはわからない。何も分からないから、とても不安である。