龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

新聞と民主主義

日々、生きていて何が腹が立つかと言って、毎月、月末に朝日新聞に集金に来られる時ほど不愉快なことはない。そこまで嫌っているなら定期購読を止めればよいではないかと思われる人もいるであろうが、好きとか嫌いという問題ではない。それに私は別に朝日新聞が嫌いだというわけでもない。街中に設置されている真っ赤な郵便ポストが嫌いではないのと同じである。ただどうしようもなくそこに存在しているというだけのことである。しかし郵便ポストと違って、朝日新聞が日本の政治や世論の形勢に対して、一定の隠然とした影響力を持っているのであれば、それは国民から客観的な批判の対象となって当然である。朝日だけでなく、読売や産経であろうと同様である。
昨今、朝日新聞への批判がかまびすしいが私は時流に乗ろうと考えているわけではない。そうではなくて私のように腹を立てながらも月々幾ばくかの購読料を集金人に支払って、毎日熟読とまではいかなくとも紙面の全体構成に目を通し、その上で客観的な視点に立って批判を試みようとしている人が果たしてどれほどの割合で存在するのかということである。何も契約して金を払わなければ批判してはいけないという理由はないが、それでも私が思うに、朝日を購読している人間は、自然と朝日流の政治レトリックや思考回路を無条件に受け入れる精神性が形成されるに至っていると思われる。それを洗脳と呼ぶか、啓蒙と考えるかはその人の自由であろうが、結局、私が言いたいことは大多数の新聞購読者は、朝日新聞に限ったことではないが、その新聞を純粋なる批判対象としては見てはいないのである。所在無げに立っている郵便ポストがなぜ赤色なのかと誰も疑問に感じないのと同様に、大衆は自分がたまたま選択して購読契約をしている新聞の論調や感覚を無条件に受け入れているものである。その背景に日本の長引く不景気も大きく関係していることであろうと考えられる。新聞を2紙購読して、その報道の在り方を見比べながら情報操作や、報道と政治の関係性について問題意識を持っている人は今や国民全体の1%も存在しないのではないのか。2紙どころか新聞を契約していない人間も最近では増えてきているのである。不景気の影響で家計の可処分所得が減っているから生活の必需品ではない新聞は節約の対象となっている。(だから新聞を軽減税率の対象品目にすべきであるという話しではない。新聞業界のそういう安易な論理のすり替えを問題にしているのだ。)また1紙だけを購読している世帯であっても、その新聞の論調を日々批判的に読み解く知性を持っている人など皆無であろうと思われる。批判精神どころか、多くの大衆にとっては下手をすると金科玉条と言うか精神の拠り所とすらなってしまうものである。天声人語を日々専用ノートに書き写して満足しているような種族がその代表なのであろう。要するに現代社会は自分を出発点として自分の頭で考えることが、経済的にも時間的にもまた精神的にも非常に困難になってきているものである。そういう私自身も朝日新聞と読売新聞の2紙を取ってはいるが、とてもではないが毎日、全部の記事を見切れない。時には産経や毎日も取って見比べ悪口を言ってやろうかと考えることもあるが、そこまでの経済的余裕がない。これらは危険な兆候であって、全体的に俯瞰してみると非常に洗脳されやすい、或いは騙されやすい、流されやすい要因を形成しているように感じられる。たとえば近年の振り込め詐偽などの被害の増加も、手口が巧妙化していることも原因であろうが、簡単に騙されやすい人間が増えてきているということも言えるのではないか。結局は詐欺に騙されるのも、政治や報道にごまかされることも同質なのである。なぜなら政治や報道もあるレベルで見れば詐欺みたいなものであるからだ。私が何度も右翼も左翼も関係ないと主張することも同じであって、国民がどちらかの陣営に心理的に所属することによって何となく安心する(治安が保たれている)という全体的な構図そのものが宗主国にコントロールされている今の日本の状況は、鳥かごの中の小鳥のような自由しか持ち得ていないものであるし、それは畢竟するところ本質的には民主主義の否定、或いは無効化以外の何物でもないということなのである。だからこそ日本は真の独立のための出発点に立つために憲法改正をなすべきであるのだが、朝日新聞毎日新聞などが強固に反対する理由は平和思想によるのではなく、恐らくは戦後、アメリカによって作られた日本の擬似民主主義の一環となって日本社会に深く根付いているからなのである。そして今、多くの人が朝日新聞の批判を声高に訴え始めていることは、実は新聞社としての朝日新聞の報道姿勢を問題視しているのではなく、日本の戦後の民主主義の在り方そのものがどこかで間違っていたことに気づき始めている大衆も多く現れてきているのではないかと私には考えられるものである。依然として騙されやすい人と覚醒する人の二層化が今の日本の特徴であるのかも知れない。それが毎月、月末の集金に腹を立てながらも長年、朝日新聞を見続けてきた私の素朴な感想である。