龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

アトピー闘病記 4

N内科医院の医者について人柄が悪い様なことを憶測で述べたが、よくよく考えれば医者と言えども当然のことではあるが一人一人性格が異なっているから一概には決めつけられない。振り返って見れば、その医者は最初から物言わずであった。初回にH皮膚科でのそれまでの治療の経過を簡単に説明した時には、「1年半は長いな。それで何て言ってたんですか。」と聞かれて、私は言葉に詰まってしまった。1年半もの間きっちり2週間おきに通っていながら、実は自分の症状についての見通しであるとか、医学的な見解についてほとんど何一つとして聞かされていなかったし、私の方からも聞き難い雰囲気もあったので聞いていなかったのである。私はH皮膚科に通う前に別の女医の元に2カ月ほど掛ったのが皮膚科の初経験で、皮膚科と言う所はそういうものだと勝手に思い込んでしまっていたのである。それがここに来て、「何て言っていたんですか。」などと、あまりにまともなことを聞かれて、新鮮な驚きに打たれると同時に自分の不甲斐なさに思わずうろたえ、口ごもってしまった。
「何てて言っても、行く度に薬を出されるだけのことでしたから。」と答えると、その医者は黙ってしまうのである。そこは何か一言、二言、言うべき場面ではないのか。たとえ何も言わなくとも首を傾げるとか、苦笑するとかいろいろあるであろうに、そういう仕草もなくただ無反応なのである。つまりその医者は患者とのコミュニケーションの取り方が元々下手なのか、とにかく乏しいのである。そういうことも恐らくは原因の一つであろうと思われるが、2回行っただけでこう言っては何だが、その病院は予約制でもないのに、普通なら混むべき土曜日に2回とも患者の数は私を含めて2~3人程度で寂しいものであった。それはそうであろう。肝心な所で黙り込んでしまうような医者のもとには、余程の名医の評判か、確かな治療技術でもなければ誰も寄りつこうとなどはしないであろう。医者の反応がなければ、患者は不安を感じるだけである。アトピー患者のように普通よりもナーバスな人間相手であれば尚更のことである。嫌味を込めて言えば、その医者は商売下手なのである。H皮膚科などは、朝9時15分から営業を開始するのであるが土曜日の朝8時50分ごろに行ってもいつも患者は待合室に一杯か、時には待合室に入り切れない人が外に列を成して並んでいるのである。H皮膚科の院長のように偏屈であろうが変人であろうが、滔々と自分の言いたい事をまくし立てるような医者の方が、一旦それが個性として認められてしまえば倦厭する人間も多いが、総合的には集客力は大きいようである。そこには日本的な風土であるとか、日本人的な気質と言うものも関係しているのであろうが皮膚科という病院のユニークさがある。言うなれば病院は特に皮膚科の経営上の要諦は人気の確立であり、その実態は患者を見下して馬鹿にするぐらいの毒々しさがあるぐらいの方が(デビュー当時のビートたけしのように)、一般に支持されやすい側面があることは否定できないであろう。但し全般的な経営上の背景を考えれば、アトピーや様々なアレルギー症状は年々増加する一方の現代病であり大抵の皮膚科は客で込み合っている。どの病院も夏祭りの金魚掬いのように客が引きも切らずに群がり、大いに儲けているのだ。しかし祭りの露天商が販売するくじ引きが、得てして当たりくじのないインチキであるように、皮膚科の治療も本当に当たり(効果)があるのかどうかは大いに疑わしいものである。効果がないからこそ、白衣の権威と患者を睥睨するかの強烈な個性を武器にして、医療と言う商売に勤しんでいる医者が多いように見受けられる。或いはH皮膚科のジュニアのように、具体的な所見も説明もなく、漫然と機械的ステロイドや抗アレルギー剤を出し続けるかのどちらかである。いずれにせよ皮膚科というところは私に言わせればとにかくどこか怪しげなのである。日本の合法的で権威性の備わった場所では、皮膚科の病院は一番怪しくて危険であるとすら言えるのではなかろうか。
そういう観点から見ると、N内科病院の院長などは性格上の問題もあるのであろうが肝心な所ですぐに黙り込んでしまうような態度は根本的には正直であることの表れであると思う。正直者であるからこそ、恐らく病院もあまり流行らないのである。この場合における正直という意味は本質に根ざしていて自分の内側に沈み込んでゆく傾向の強い性質である。私自身もそういう傾向があるのでよくわかる。こうやって文章を綴っている時にはすらすらと言葉が出てくるが、誰かと面と向かい合っていたり、複数の人間と相対して話している場面では言葉が途切れて黙ってしまうことが昔から多かった。必然的に誤解されることも多い。黙ると言う行為は他者ではなく本質に向き合うということであり、コミュニケーションの流れは途絶えがちである。相手からは何を考えているのかわからない人間として評価される。しかしその医者が1回目の時点から金属アレルギーの可能性を示唆していたように、そういうタイプの人間の方が複雑な事象の中から根本的な原因を見極める能力は高いのだと思われる。医者や病院の良し悪しについての客観的な評価は中々難しいものがある。たとえばこれがラーメン屋であれば、いつ行っても混んでいて客が並んで待っているような店は、閑古鳥が鳴いている店より美味いのは絶対的に確かである。他者の数量(人数)的な評価は疑いようがない。しかし病院の場合は、患者が列をなして並んでいるから、信用の出来る確かな治療であるとは必ずしも言えない。そういう光景に惑わされていると私のように酷い目に遭うこととなる。その理由は病院(特に皮膚科)の治療方法は、ラーメンの味のような差異がほとんどないからである。患者は現実的には主体的に病院を選び得ないのである。選ばされているだけである。違いがあるとすればそれは治療方法ではなく、単に医者の個性の違いなのだ。保険適用の治療の範囲内において言えば、ほぼ100%そうであると言える。皮膚科というところの何とも言えない胡散臭さはそういうところにあるのだと思われる。客とラーメン屋の関係性は対等で対称性があるが、患者と医者の関係性は対等ではなく非対称的であるのだ。結論を述べれば皮膚病は軽度の場合を除き、皮膚科の保険適用の治療では根治には至らないと思われる。根治どころかステロイドの長期使用などの弊害によって、変にこじらせてしまう危険性の方がはるかに大きい。だから本当は、よほど信頼できる医者でなければ血液検査などの客観性の高い診断を求める以外は、皮膚科という場所には極力寄り付かない方がよいのである。現に私は今、そうしている。君子、危うきに近寄らずである。また結果的にその方が治る可能性も高くなるものである。