龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

騙される人々

しかし、あれだな。ニュースを見ていて思うに、振込み詐欺の被害額が未だに数百億円もあるということが信じられないのだが、結局は振込み詐欺に騙されるのも、政治の嘘に騙されるのも突き詰めれば同じことだということだ。だってそうだろう。振込み詐欺グループは巧みに電話で警察や弁護士を演じて被害者に金を振り込ませようとするが、政治家は政治やNHKを初めとした情報の権威性を利用して大衆に嘘を信じ込ませる。どこに違いがあるというのか。被害額の大きさも然ることながら、政治や警察が必死になって振り込め詐偽を撲滅させようとしている原因には、本質的な部分での近親憎悪に近いものがあるのではないかと私は見ているのだけれど。振込み詐偽に騙される人は人の良いお年寄りが多いので気の毒ではあるが、騙されるということの精神的な原理に年齢はあまり関係ないと私は思う。先ず第一に騙されやすい人は突き詰めて考えるということが出来ない。だからすぐに表層的な権威に頼って盲信してしまうこととなる。医者や弁護士の肩書きとか、NHKとかそういったことである。第二に自分の頭で突き詰めて考えられない人は、世の中には絶対というものがないという真理がとことん理解し切れていない。惰性的かつ習慣的な絶対神話に囚われて生きている人々である。そういう人々は絶対が盲点になって騙されるのである。「絶対に儲かりますよ。」とか「絶対に失敗することはありません。」など、当初は疑いつつも最終的には絶対性を否定する精神性をもち得ていないから、その絶対という虚構の原理に取り込まれてしまうのである。これは政治も全く同様である。原発は絶対に事故を起こしませんなどと言っても現実にはかくの如しであるし、一昔前には検察が証拠を捏造するようなことなど絶対に有り得ないと多数の人が信じ込んでいたが、実際にはおそらく一昔前から捏造かそれに近いことをやってきたのである。権力などというものはいつの時代もいい加減なものなのだ。ならどうして今の時代にあって、選挙や住民投票の開票作業や集計で不正が絶対にないなどと何の根拠もなく信じ込むことができるのであろうか。投票所に行けば、いかにも堅固な投票箱にこれ見よがしに錠が付けられている。そういう物や光景だけを見て開票が絶対に公正に行われていると何となく信じ込んでしまうのでは、その知性のレベルは野生のチンパンジーと五十歩百歩であるといえるのではなかろうか。大衆とは未だ人間に成り切れていないチンパンジーの群れである。